好きな武将 best10(1/3)


こんばんは。

今日は私の好きな武将について羅列してみたいと思います。そのうちもっといろんな情報とか私見を書けたらいいなあと思ってますが、さてさてどうなることか・・・

というわけで私の好きな武将best10です。興味持たれた武将がいたらまた調べてもらえればと思います。今はネットで簡単に検索できるので、この私の独断がキッカケになるとうれしい限りです。

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10位 加藤清正573px-kato_kiyomasa
朝鮮出兵の虎狩り熊本城築城で有名な武将ですね。農民出身の秀吉は飛躍的に出世していったものの武家のように家臣団がおらず、少しでも関わりがある血縁から若者を集めたと言います。清正もその一人で、ほかには福島正則、浅野長政などがいます。清正は賤ヶ岳七本槍に数えられたり虎のエピソードから武人のイメージが非常に強いですが、内政も非常に良いものをして領民からの評判も良かったようです。そして特に築城の名手としても呼び声が高く、代表はもちろん熊本城ですね。武者返しの石垣は有名です。他にも江戸城、名護屋城、名古屋城などにも関わったと言われています。

9位 太原雪斎
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歴史好きには有名ですが、一般的にはマイナーかもしれませんね。今川義元の教育係で今川家唯一無二の軍師です。義元も絶大な信頼を寄せ、軍事政治ともに今川家の最高顧問を務めました。甲駿相三国同盟も太原雪斎の手によるものとも言わています。名前からわかる通りお坊さんですが、もとは今川家の武家の出です。京都の建仁寺で修行していたところ、非常に聡明とのことで今川家が呼び戻して義元の教育係に任命しています。桶狭間の戦い時はすでに寿命で亡くなっていました。雪斎が生きていれば信長の台頭もなかったかもしれませんね。

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8位 明智光秀
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敵は本能寺にあり!で有名すぎる光秀。実は政治、外交、合戦、智謀、教養の全てにおいて超一流のスーパー武将です。信長を討った理由はいろいろ諸説あるのですが、私は信長が怖かったのと光秀自身にやっぱり野心があったのかなあと勝手に思ってます。山崎の合戦でも死んでなくて南光坊天海になったという都市伝説も・・・。ちなみに天海は家康の側近として活躍したお坊さんです。一夫多妻が当たり前のご時世で側室をもたなかったそうです。この辺は女性ファンに大きく支持されてるみたいですね。

7位 柴田勝家
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織田四天王の筆頭です。織田家中随一の荒武者で織田家の合戦では常に重要なポジションにいた織田家筆頭家老です。四天王残りは丹羽長秀、明智光秀、滝川一益です。意外なことに秀吉や加賀百万石の前田利家はいないんですね。さて、この勝家ですが、猪武者のイメージが強いですが、領地では非常に善政を敷いていたようで絶大な人気を誇っていたそうです。しかも治めていたのは元朝倉家の支配地で一向宗も多かった越前です。また義に非常に厚い武将だったようです。前田利家が一度没落した際に、周りの武将が冷たくなった中、勝家だけはそれを気にせず利家と今まで通り接していたそうです。利家はこれに感動して後に勝家の与力大名になったとも言います。賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れて自刃しました。

長くなってるので6位からはまた次回に・・・^^;

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真田幸村 真田丸


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いわずと知れた大河ドラマの主人公、歴史好きじゃない人でも名前は知っているくらいの有名人ですね。ただし幸村という名は後世の創作です。今の大河ドラマでも信繁と名乗ってますが、こっちが正解です。祖父は幸隆、父は昌幸、兄は信之(のち信幸)、つまり先祖代々“幸”の漢字を引き継いでるんですね。これを通字(とおりじ)と言います。この時代はどこの大名や豪族でも行っていた風習ですね。そう考えると信繁は通字がないです。一説には武田信玄の弟が典厩信繁と言い、知勇兼備の名将で父の昌幸がとても尊敬していたとか。この典厩信繁は川中島の戦いで戦死しています。幸村はこのあと産まれているので、昌幸がその名前を次男の幸村に名付けたとも。ではなぜ幸村という名前が呼ばれるのでしょう?これも一説ですが、私も同意するのは1つは後世で文書を残す際に典厩信繁との混乱を避けるため。もう一つが通字の“幸”と妖刀村正の“村”を合わせたというもの。妖刀村正は徳川に仇を成す刀と言われています。家康の祖父清安、父広忠も殺されていますが、そのときの刀が村正と言われています。また嫡男信康が切腹した刀も村正だとか。大坂の陣で幸村が家康の陣に切り込んだときの刀も村正だとか。この辺はの真偽はかなり怪しいですが。なので幸村と言う名前を後世の史家が創作したというのはある意味筋が通っていると思います。(笑)

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さて徳川の世が間違いないと言われている中で、あえて反徳川派として徳川幕府と戦った幸村は反骨の武将と言われています。一説には信濃(しなの:現在の長野県)を与えるという徳川からの誘いも断ったと言います。このときの幸村の言葉と言われているのが「一旦の約の重きを存じて較ぶれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国を半分賜はるともひるがえりがたし」です。一度約束したらどんな利益にも心変わりしない、約束はなによりも重いものだということですが、これを実行できる人、どれだけいるんでしょうね?私も約束は大事と思いますが、ここまでストイックになれる自信はないです(笑)

また友人の石田三成に協力するため、勝ち目はほぼないが、義のために活動したとも言われています。すごいですね、なかなか真似できることじゃないですよ。しかも当時は負け=死ですからね。それも相手が徳川なら。

これらから真田幸村は義勇仁智名忠礼などのすべてを備えた名将として伝えられています。

ただ・・・

どこまで真実かがちょっと個人的には疑問ですけど。関ケ原のときは西軍についたのは勝てば恩賞大きいという博打的考えは当然あったと思うのです。その結果、上田の局地戦では大活躍していますが、結果は西軍の負けで九度山に蟄居しています。大坂の陣は豊臣側に勝ち目ないのはほぼ明白です。返り咲くならここもやはり賭けに出るしかなかったんじゃないかな、と思います。

とはいえ、本当はもう誰にも分りません。私は作られた幸村も好きですし、賭けにでる幸村も好きです。歴史にifはないと言いますが、あえてifを妄想するのも楽しいのではないでしょうか。^^

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日本史好きの私


こんにちは。

日本史、特に戦国時代が大好きで、小学生のころから小説読んでました。それが高じて大学のゼミでは日本法制史を選択、卒業論文も「戦国時代の政治史 ~武田家を中心として~」を選ぶくらいハマってしまいました。(ちなみに法学部です・・・)この卒論を書くために甲信越地方に行ったのですが、なにせ貧乏な学生だったもので、親に頼んで連れて行ってもらいました。(笑)両親も歴史好き、かつ久しぶりの家族旅行ということで即決、快く連れて行ってくれました。感謝ですね!

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さてさて最近は歴史から遠ざかっていて大河ドラマやたまにのドラマ、テレビ番組などくらいを見るくらいになってしまって記憶もかなり曖昧かつ忘れてきてしまいました。歴史好きとしてこれではいかん!と危機感(?)をもってきた今日この頃なのです。

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以前は武将名700、城名200くらいはさらっと出てくるくらいでそれぞれに簡単な説明くらいはできたんですけど・・・。もっとも専門家に比べるともちろん薄い知識ですが・・・!

得意分野は戦国、明治維新、いわゆる激動の時代です。人気分野です。そんな中で復習や新しい知識を求めたくなりました。一般の方のふとした疑問や?に答えられるような軽い感じの情報を提供できればなあと思ってます。

更新は不定期になるとおもいますが、お付き合いよろしくです!

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雑学と妄想の日本史