頼朝・義経兄弟と妻たち


こんにちは。

長い歴史がある日本。そんな日本史の中で、私が以前から気になっているのが源義経・頼朝兄弟と彼らにまつわる人々の話です。 源義経は2005年に大河ドラマにもなっているので、そちらの記憶が新しい人もいるのでは?得意分野ではないので、一般的な説や小説、ドラマなどを基準にした、かなり偏見あふれるものかもしれません。(笑)

さて、それでは!

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私が義経・頼朝に興味があるのは、あれだけ仲が良く「打倒平氏」の名のもとに共闘していた血を分けた実の兄弟が、「嫉妬」という感情だけで簡単に仲が破綻してしまったという点です。 義経・頼朝の仲が破綻した理由は、今まで色々な説が出ています。 頼朝の許可なく義経が後白河から官位を貰ったことが頼朝には裏切りに見えたとか、義経の戦での戦い方を頼朝が快く思っていなかったとか、色んな説があります。しかし私はそんな理由ではなく、単純に頼朝は義経に嫉妬していて、それが高まった結果の義経追放だと思っています。

義経は戦の天才です。数々の戦で勝利しては輝かしい栄光を手にしてきた、いわば「英雄」でもあるのです。 頼朝はどうでしょう?源氏のトップとして義経より地位は上です。政治という点では義経よりも才能は有るでしょう。 しかし、戦や軍事の才能という点では、頼朝は義経の足元にも及ばないでしょう。 戦という現場で直接戦う姿勢を見せる義経と、上から指示しているだけで現場には出ても来ない頼朝。 民衆が支持するのは一体どちらでしょう? 今は義経は自分に従っています。しかし、もし何かが起こって義経が自分に謀反を起こしたら…。それに敵対勢力が協力したら…。 頭の良い頼朝ですから、今のうちに義経を排除したいと考えても不思議ではありません。 だから、私は義経と頼朝の関係破綻の理由は「頼朝の嫉妬」にあると考えるのです。

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義経・頼朝兄弟の関係も面白いですが、この2人を取り巻く女性陣もこれまた面白い。 頼朝の奥さんは悪妻としても名高い北条政子です。そして義経は、かの有名な白拍子の静御前ですね。 「悪妻・頼朝を尻に敷いてる」として有名な北条政子ですが、実は頼朝との恋はそれはロマンス溢れるものでした。 親から反対されて恋した頼朝と駆け落ちを決意した北条政子。当時の政治状況ではそれはありえない行動です。そんな政子がなぜ悪妻と言われるのか?いろいろありますが、端的に言うと「頼朝の力を背景に政治に干渉した、頼朝の死後に絶大な権力を行使した」ことでしょうか。しかし政子がいなければ頼朝が天下を取れる事はなかったでしょう。 そんな政子とは真逆なのが静御前です。義経を最後まで想い続けるその一途さは、正に「妻の鏡」であるといえます。 そんな真逆な二人の有名なエピソードが、静御前が頼朝の前で舞ったというエピソードです。 頼朝の前で舞うように命じられた静御前。そこで綺麗な舞を披露しながら義経を慕う歌を歌うのです。 当然これに激怒する頼朝、静御前も当然激怒されることくらい分っていたでしょうし、死罪すら覚悟してたんではないかと思います。しかし、政子はそんな頼朝を「彼女の思いが私にはわかる」と宥めて逆に褒美を与えるのです。 静御前の義経への強い思い、北条政子の頼朝への思い、頼朝が政子に完全に尻に敷かれているという3つの関係がよくわかって、おもしろいエピソードだと思います。

北条政子は日本三大悪女とまで言われるほどですが、そこまで悪女でしょか?子供たちが殺される原因を作ったりとか、頼朝の愛人の家を焼き討ちにしたとか、その部分だけを見れば悪女悪妻な気もします。しかし、尻に敷いていようが政治にしゃしゃり出ようが、実際に頼朝が武家のトップになれたことは事実です。それを内助の功で支えたのは政子ではないでしょうか。まずい結果もあることはあるでしょうが、夫の頼朝の出世という結果からは寧ろ「良妻」の部分も大きい気もします。頼朝の出世を支えた政子、ただひたすら純粋に義経を想っていた静御前、歴史という舞台の中ではどちらが評価されるでしょうね?今の感覚でいうと静御前なんでしょうか・・・。

私は歴史を見るとき「現代の感覚」で考えることほど危険なことはないと思ってます。当然昔の時代背景と現代の背景、感情や文化も全く異なるわけです。「当時の時代背景では正しい、現代の感覚では正しくない」ことなんていくらでもあるし、現代の感覚を物差しにすると歴史上のほとんどは正しくないのでは?

もちろん個人的な意見です!(笑)

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