徳川の盤石さと豊臣家の運のなさ


徳川と豊臣の関係の歴史小説とかドラマを見ていると豊臣が滅びる原因は明らかで、徳川の世になったのは当たり前という描き方をしているものが多く見受けられます。

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名古屋中心部を練り歩く郷土英傑行列=杉本昌大撮影

しかしながら豊臣秀吉が亡くなる以前に、この既定路線みたいな事はなかったと個人的には思います。 あれだけ、経済的にも豊かでほとんどの大名を服従させた豊臣政権がもろくもくずれさったのは、中心人物や要の大名が家康より先に亡くなるという不運が一番にあげられるでしょう。

125440627818216325159まず、蒲生氏郷です。秀吉は氏郷を会津に配置しました。最初に徳川の牽制に要になるはずで、しかも家康にも対抗意識があった武将です。能力も申し分なく、秀吉としては奥州と徳川の抑えとして大いに期待したはずの武将でした。まさか氏郷が早くに亡くなるとは想定外だったことでしょう。氏郷の死後に上杉景勝を領地替えさせた理由はこれです。後に上杉が徳川の専制が強くなっていたときに領地に戻ったのもまだ新しい領国でしっかりとした国造りが出来なかったので、そこを家康に狙われたわけです。

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hideyoshitotoshiie前田利家も太閤の友であり、同じく歴代の織田家の家臣でもありますし家康に対抗させようと五大老の対抗馬として期待されてその意気込みを見せるのですが、やはり秀吉がなくなったあとは病気で亡くなってしまいます。農民出身ということもあり、豊臣自体の血族も元々しっかりしたものはない上に、一番頼りだった弟の秀長がこれまた若くして亡くなってしまいます。thX7KFMVY6秀長が生きていたとしても秀吉の後継者になったかは大いに疑問ではありますが、実績も人望も申し分ない武将です。結果的にお世辞にも出来が良いとは言えない甥の豊臣秀次が関白になるのですが、このあと秀頼が生まれた後に切腹させられてしまいます。

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こうやって豊臣家には次々と災いが起きた反面、徳川家康の方は家臣もそうだけど、子供もたくさんいたのも強みとなりました。それにしても、秀吉はあれだけ側室もいたし女好きだったのにあまり子供は出来なかった。特に正室のねねとの子供がいたら…って上にあげたどれか一つでもひっくり返っていたらって考えてしまいますね。

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