石田三成 事実は勝者によって歪められる?


勝者が歴史を作る面は否めないと思います。この件については以前も書いたことがあります。負けたことで実像と異なる評価や伝承がなされている人物はたくさんいると思います。石田三成もその中の一人だと思います。

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001_size6天下分け目の関ヶ原の戦い以降、石田三成は極悪人のように扱われることが多く、大河ドラマでも冷淡な表情もできる俳優をキャスティングしていたりします。けれども、石田三成は本当はそこまでの嫌われ者ではなかったと言われています。確かに武士達の間では堅物として敬遠されることはありましたが、質素倹約な居城に住むという姿勢からも、国の未来を本当に願ったことから農民たちからの信望が扱った人物だったそうです。もっと柔軟な性格であれば、彼を支持する武士達にも支えられて天下を獲れたのかもしれませんが、性格が災いしてか、関ヶ原の際も兵を集めるのに一苦労したそうです。

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そんな三成を支えたのが仁義に熱かった大谷吉継だと言われています。f0017409_22542459吉継は業病でした。ハンセン病ではないかと言われていますが、明確にそれを裏付けることは現代でもできていません。吉継の業病は顔から膿がでるほど進行していたそうです。そんな中、大阪城でお茶を回して飲んでいくイベントがありました。病を患った吉継の後にお茶を飲むことを嫌がる人が多かった中、吉継の膿がたまたま入ってしまった茶碗の中のお茶を拒むことなく、三成は飲み干したそうです。その男気と表情には出さないタイプであったけれども根底にあった人情深い三成の本質を知った吉継は、彼を色々な場面で支えていたといわれています。

関ヶ原の戦いでは、徳川幕府の勝利に終わったがゆえに、こういった逸話がオープンにされなかったり、かき消されたりしました。勝者にとって、人望・信望のあつい人物の存在は、その者が死んでこの世にいなくなっても恐ろしかったのかもしれません。この世にいないがゆえに民衆によって美談として持ち上げられるのを恐れ、自分たちの地位を脅かされることに震え、真実を捻じ曲げたのかもしれませんね。こういうことはどの国でもあります。最近では、歴史を別の角度から捉えた番組なども増えてきており、色々な側面に気づかされることがあります。新説にも目をむけてみるのも歴史の新たな楽しみ方なのかもしれませんね。

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