本能寺の変と山崎の戦いには黒幕がいた?


1582年に織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれてからわずか11日後に、当時信長より中国の毛利攻めに行くよう指示されていた羽柴秀吉が主君信長の仇を討とうと打倒明智として動いたのが山崎の戦い、通称天王山の戦いです。現代でも、何かしらの山場のことを「天王山」と言うことがありますが、その語源はこの山崎の戦いの中の要所であった天王山から来ています。この戦いは一見ただ秀吉が主君の仇を討とうと躍起になった戦いのように聞こえますが、当時の時代背景を考えると非常に稀な出来事だったのです。

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010ホトトギスの歌でも知られるように、信長は非常に残酷な性格をしていて抗う臣下は容赦なく首を刎ねるような人物だったと言われています。そんな信長の家臣であり中国攻めの総大将を任されていた秀吉とはいえ、信長が本能寺で討ち死にしたという知らせが嘘だった場合、信長の命令を無視して勝手に中国から本能寺に帰ってきた秀吉は謀反人扱いになり、斬首になってもおかしくない状況だったのです。加えて秀吉が信長討ち死にを知った理由は、怪しい伝者(伝言を伝える人)がいて捕まえたら明智から他の大名に向けて「信長を討ったからこっちに援軍を寄越せ」という内容であり、その内容を鵜呑みにしたからでした。当時は通信手段なんてもちろんありませんから、情報の伝達は人力です。かなりの時間差があります。更にその伝者の情報を信じるにはあまりにも判断材料がないと思いませんか?先程言ったようにもしこの内容が嘘、例えば明智が嘘の内容を書いた手紙をわざと伝者が秀吉に捕まるように画策していたとしたら、明智によって秀吉は謀反人に仕立て上げられ、秀吉は信長を討つか大人しく信長に処刑されるかのどちらかしかありません。

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この事から推測するに、実は明智と秀吉が裏で手を組んでいたのではないかと推測する人も多いのです。いわゆる陰謀説ですね。そして共に信長を討とうと約束していたのに、明智が信長を討った瞬間に秀吉が裏切り天下は秀吉一人の物になった、そう考えると辻褄が合ってしまうのです。山崎の戦い、通称天王山の戦いは歴史上秀吉が信長の仇を討って後継者として一番に名乗りを挙げた戦いと言われていますが、実は当時の時代背景を考えれば不自然なところが多く秀吉が謀反の張本人だったのではないかということを示唆する戦いだったかもしれないのです。

陰謀説は秀吉に限らず家康にも毛利にも囁かれています。ことの真実は分りませんが、もし陰謀説が本当とすれば秀吉が一番しっくりくる気はしますね。

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