武田信玄 内治政策 ~治水 甲州法度~


内治政策

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治水事業
img_1096253818638戦国大名にとって国力の基盤となるのは、生産に従事する農民と戦闘力を構成する家臣団である。特に兵農未分離の当時は、農民は米を始めとする主食の生産者であると同時に軍隊組織の末端機構としても重要な機能を果たしていた、。思慮深い信玄は国力増強と同時に農耕対策としても治山・治水・新田開発・検地・人口増加策などの政策をもって富国強兵の基本とした。ではその中の治水としての信玄堤を簡単に述べる。甲斐は古来水害が多く、甲州盆地は特にその被害が大きかった。つまり、農業に対する洪水等被害の危険性の増大、更には国力低下の直接的要因になりうる。この対策として信玄は先人の残した堤を改修して治水にあたった。方法としては、自然の力の利用・水林工事による水勢の分散・水防林による堤防の強化である。これにより荒廃していた甲州の農地は肥沃化し、国力をつけていく。この信玄堤は甲州流川除として江戸時代の治水法の権威となり、現在に至るまで400年間甲州盆地を守り続けている。この堤は現在の竜王町付近以南に密集している。

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甲州法度之次第
img_0玄は家臣団の統制と領民の精神的帰一を目的として天文一七(1548)甲州法度之次第を制定した。この家法は他の分国法に違わず御成敗式目の影響を多分に受けているが、直接は今川氏の『仮名目録』に範をとっている。内容は軍事・司法・行政など多岐に渡るが、武家法の性格上、法治主義的武断的・裁判の規定が極めて簡潔・排他的色彩が濃い・法的条文と道徳的条文が同一法の中に規定され、特に訓戒的法が多いといった特徴を持つ。内容の例としては右の表のようなものである。基本的に他国の分国法と同じような条文が多いが、注目すべき点は信玄自信守るべき法であることが明記されていることだ。55条には『信玄がこの法度の趣旨に相違するようなことがあれば貴賎を問わず誰でも目安によって投書せよ』とあり、家臣や領民に厳しい規律を要求する一方で信玄自信も法の遵守を誓っているのだ。

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