武田信玄 内地政策 ~治山~


内治政策

戦国時代を考えると、どうしても華やかな合戦ばかりに気を取られるのは否定できない。しかし、信玄は合戦だけでなく内政にも大きな力を注いでいる。「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」という有名な言葉は甲陽軍鑑にもあるが、これは信玄が人身掌握を重要視していたことをあらわしているのではないか。もっとも、信玄の時代の甲斐には近代城郭に見られるような強固な石垣は存在せず、信玄が「人は石垣」と言えるはずはないのだが。ここでは信玄が行った有名な政策である治山・治水・法について述べる。

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治山事業
singenkouいわゆる金山に関する政策である。貨幣経済の進展につれ、高額紙幣の出現が要求されるようになった。また、戦国時代において経済力の強化は必須条件であり、特に戦争に多額の軍資金を必要としたため信玄もその調達には苦労したようである。そのため信玄は田祖以外にも公事・山ノ口銭・役銭・棟別銭・屋敷税・市場税・関所税・座役などのおびただしい種類の課税を行ったが、さらに積極的に領内の鉱山を採掘して金銀の貯蓄に努めた。信玄が開発した金山は黒川山・芳山・御座石山・富士金山・川上山などである。中でも黒川山は有名であり、黒川千軒など往時の盛況をしのばせる口碑なども残っている。

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illust001甲州の金山は信玄が創始のように思われがちだが、父信虎時代に既に採掘されている。それだけ確かな技術を持っていたのだろう。武田氏滅亡後は家康が武田の遺臣である大久保長安を登用して全国の金銀山開発にあたらせたのは有名である。採掘された金は灰吹法という技術で精錬され、金貨につくられる。甲州金・甲金等と呼ばれるが、これが信玄の財政を支え軍事行動の経済的基盤となる。この金は領内でも貨幣としてある程度流通していたのではないかと思う。少々短絡的だが、初期甲州金が多量の永楽銭などと一緒に発見されていることからもこれは伺えるのではないか。

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