戦国を語る1


歴史における人々の思考や風習というものは現代のそれと全く感覚が異なる。それらを踏まえずに歴史を見ると、恐ろしい、ひどい、かわいそう等の感想を持ってしまう人も多いだろう。その中からいくつかをピックアップして語ってみることにする。
(完全に私見なので異論や異説はありえるだろう)

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武士道の精神
maxresdefault 戦国時代は入門編(入門1入門2)でも述べた通り、混沌の時代である。多くの人が当時の武士には「武士道」の精神があったと理解していることだろう。しかし、そもそもこの時代に「武士道」という概念は無かった。この思想は江戸時代、徳川幕府の下で広まった概念なのである。この時代において生き残るためには、綺麗ごとは通じないのである。徳川家康によって成された一応の平穏を機に、武士達は自分を見直し、戦国時代で荒んだ精神を浄化させ、武士の在り方を確立していく。幕府もそれを支援していく。そして出来あがったのが「武士道」という観念だろうと私は思う。「武士道」精神は、幕府が外国から取り入れた儒教思想を基に都合の良いように作り上げ、武士に浸透させたとも言われる。しかし、いかに幕府の政策とは言え、もともと自我の強い武士がそうそう受け入れるものだろうかと思うのである。武士達の意識改革があってこそ成立した観念ではないかと私には思えるのである。そう考えれば、明治維新における武士の意識覚醒は納得いくものであり、ロジカルに説明できるのではないだろうか。

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武士の意識
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さて、それではその「武士道」が無かった戦国時代の武士の意識について考えてみる。 武士の中には基本的に、鎌倉幕府以来の「御恩と奉公」の意識があったと思われる。しかし、武士達は混沌の時代においては、家を残すことを第一に考え、それに伴い行動する。つまり、武士達の意識の中では、主従関係はあくまでも家と生活を保証する(所領を含む)“御恩”あってこそ“奉公”する関係なのである。したがって、家と生活の保証が危ういならば、主君を見限って他家に仕えることは、当時の常識であり、それを以って「不義」とすることは無かったという。 しかし「武士道」は無かったが、主君への忠誠を「美学」としてとらえる武士もいた。江戸時代における「武士道」の根底である。どちらにせよ、武士達は主君に仕えている間、すなわち“御恩”があるうちは“奉公”によって報いたのである。

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