日本史において最強の伝説的武将『源為朝』


みなさん日本史はどの程度知っているでしょうか。学生時代に授業で習う分野の為、有名な人物や大きな事柄であればある程度は知っている、という方が多いかと思います。この人物の名前は聞いたことがありますか。『源為朝(みなもとのためとも)』。恐らくあまり知られていないのではないでしょうか。今回はこの人物が何者なのかを解説していくことにします。

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【身長2m越えの大男『源為朝』】
4febbe8e為朝は平安時代に活躍した武将です。現代でもあまり見かけることが少ないほどの大男で、身長は7尺(2m)ほどあったと言われています。弓の名手で、その体格を活かして強弓(通常より強く張ってある弓)を駆使し、戦場では獅子奮迅の活躍を見せていました。性格は傍若無人で破天荒、外見は逞しく力強い人物であったと伝わっています。特別大柄な体格を持ち、性格も戦闘向きであったことから、超人的な豪傑と呼ばれていました。

【10代のころからすでに伝説の人】
為朝には、現実的なものから非現実的なものまで、数多くの伝説が残っています。4歳のころから毎日喧嘩に明け暮れていた為、手元に置いておくことが不安になった父親から勘当されてしまいます。京都で生まれた為朝がまだ13歳の頃に向かわされたのは九州の豊後国。そこで為朝は考えられない行動を起こします。鎮西総追捕使を自称し、豊後国を含め周囲の国々で暴れまわり、たった3年で九州を制圧したのです。これに対して朝廷が幾度も討伐隊を送りましたが、全て返り討ちにあってしまいました。結局朝廷は討伐を諦め、手元に置くことで自軍の戦力として迎えることにします。

【島流しに処されてもその先でまた伝説を起こす為朝】
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【まとめ】
今回紹介させてもらった事柄は、為朝のごくごく一部にしか過ぎません。日本史においては、為朝以外にも伝説が残っている武将は数多くいます。ですが、その中でも2mを超える大男であること。10代の頃から暴れまわり、行く先々を制圧してしまう圧倒的な武力。制圧するスピードを考えても、周りを取り込んでいくカリスマ性も持ち合わせていたはずです。31歳という若さで亡くなったことも踏まえると、まさに『源為朝』は日本史上最強の伝説的武将であったと言えるのではないでしょうか。

th65wyei5wちなみに為朝は伊豆で死なずに、琉球に落ち延びて琉球王朝の祖になったという伝説もあります。しかも、なぜか琉球王国の正史に記載があるんですね。真偽のほどは不明ですが、「もしかしたら」と想像すると面白いですよね。伊豆から琉球ってすごく遠いですが、黒潮の影響で意外に行ける可能性は十分にあるそうです。さてさて、真偽はいかに・・・(笑)

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