時代に翻弄された奇兵隊の悲しい末路とは?


奇兵隊と言えば、高杉晋作が創設した身分を問わない軍隊として有名です。動乱時には無類の強さを発揮し、明治維新を成し遂げた大きな力となった奇兵隊。しかし、奇兵隊がどうなったか知っている人は意外に少ないのではないでしょうか?

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奇兵隊の誕生
kiheitai1奇兵隊が誕生するきっかけとなったのが下関事件です蘭の外国連合艦隊の攻撃を受け長州藩の軍艦は撃沈され砲台も破壊されてしまいます長州の正規軍のみではとても太刀打ちできる相手ではありませんそこで高杉晋作が藩主毛利敬親に献策したのが奇兵隊創設です一隊を創立し奇兵隊といわん献策したのですここに藩の正規軍とは異なる商人や農民にも開かれた新しい軍隊が誕生したのです

総管 赤禰武人の誕生
akane-t高杉晋作が藩の政務に集中するため奇兵隊を去った総管に就任したのが赤禰武人です赤禰は農民の出身だったのですが武家の養子になる事によって武士の身分になる事が出来ましたその後松下村塾で学び奇兵隊の総管にまで上りつめた人です長身でたくましく色白の美男子だったと言われていますまた様々な階級からなる奇兵隊をまとめるだけの人望も備えていましたその後長州藩は一次長州征討により15万の幕府軍に包囲されますその時点で藩内は俗論派と正義派の二つに分断されていました正義派だった赤禰は藩内で内戦をやっている場合ではない俗論派との和平交渉に乗り出しますしかしその和平交渉中に高杉晋作を中心とする正義派が武力蜂起し俗論派から政権を奪い返してしまいました結局赤禰は正義派俗論派双方から裏切り者扱いされる事になってしまったのですその後幕府と長州藩の和平交渉に奔走しますが山口で幕府のスパイとして捕らえられ処刑されてしまいますこの取り調べや弁明の機会を与えられる事は一切ありませんでした現在その霊を慰める山口市旭通りには赤禰武人顕彰之建てられています

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最後の総管 山縣有朋
souri03赤禰の後を継いだのは奇兵隊No.2であった山縣有朋です二次長州征討において山縣有朋率いる奇兵隊はわずか3500の兵で幕府軍10万に勝利しますその後も北越戦争会津戦争で勝利し故郷に凱旋しますこの山縣有朋は新政府における新たな軍隊創設のため外遊します彼はその後内閣総理大臣にまで上りつめる事になるのです

奇兵隊の反乱
新政府が成立する事になると奇兵隊は当然解散という事になりますしかし奇兵隊の兵士から一介の農民に戻れと言われても隊士が納得するわけがありませんここで奇兵隊の反乱が勃発します同じ長州出身である木戸孝充は新政府軍を率いこの反乱を鎮圧します首謀者ら133人が処刑されたのです

奇兵隊の終焉
この反乱を機に奇兵隊の歴史に幕が下ろされました明治維新の原動力になった奇兵隊が最後には新政府軍によって鎮圧されるという皮肉な結果になってしまったのですこの外遊中であった山縣有朋がいれば奇兵隊の運命も違ったものになったのではないかと思うと残念でなりません

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