岡田以蔵 京の人々を恐恐とさせた人斬りはどんな人物だった?


51n6g8a7wnl-_sx230_日本史といえば幕末か戦国武士かということが盛り上がるものですが、キーを握っていた人物は意外に地味な役回りか、全く表舞台の人ではないことがありますね。坂本龍馬のようにあとあと司馬遼太郎の小説から光が当たった人もいます。この時代の人たちはひとたびその役目を終えると歴史の舞台から消えていってしまう人が多いのですが、今回はその一人、岡田以蔵について紹介したいと思います。幕末には四大人斬りと言われた人たちがいました。以蔵はその中の一人です。

スポンサーリンク
>

iaqty4jikacunq残念ながら以蔵の写真等は一切残っておらず、実際の以蔵がどんな風体だったのかは謎です。前述の司馬遼太郎氏の作品では「人斬り以蔵」で出てきます。タイトル通り人斬り以蔵と言われ京都の町を恐怖に追いやった男です。当時尊皇攘夷派と開国論者が激しくぶつかり合った日本は混乱していました。どのイデオロギーにもそれなりの言い分と偏見があったわけですが、その一人、土佐の武市半平太は攘夷派、かつ幕府との繋がりの深い山内家の下にありながらも、自身の政策のために土佐藩で下に見られていた下級武士たち、土佐藩の中で、という血気盛んな輩を集めていました。その中でも特に身分の低い武士であった一人が岡田以蔵だったわけですが、NHK大河龍馬伝では佐藤健が演じて、かなりピュアな人として描かれていましたね。他にも龍馬が行くではTOKIOの長瀬智也がワイルドな雰囲気で印象的に演じました。

009さて、彼のリーダーであった武市半平太はかなりの剣豪でした。土佐藩のお金で剣術修行で江戸に出たくらいです。しかし、以蔵にだけは普段のクールさを抑えきれぬほど稽古の時も白熱した凶暴な剣客だったようです。以蔵自身も半平太と一緒に江戸剣術修行に出ています。さらに九州にも剣術修行で出ているので、剣術の素質というのはずば抜けていたのでしょう。ですが、以蔵は身分が低く、学がない。自分が何のために戦をしているかも知らず、頼まれれば何と攘夷派の真逆、開国佐幕派の重鎮、幕臣の勝海舟のボディーガードまで引き受けてしまうポリシーのなさがありました。半平太はそんな以蔵に剣術でも負けるのが嫌でついつい白熱したのかもしれませんね。

スポンサーリンク
>

勝海舟護衛ではこんなエピソードがあります。勝海舟は思想的に半平太から見ると敵みたいなものです。その勝海舟の護衛を頼んだのは坂本龍馬です。竜馬は海舟を師としており、同郷の以蔵に護衛を頼みました。護衛の時に暴漢に襲われているのですが、以蔵の活躍で撃退に成功しています。海舟は以蔵に「そんな楽しんで人を斬ってはだめだ」と注意したところ、以蔵は「でも自分が切らなかったらあんたは死んでたよ」と言ったそうです。海舟はそれを聞いて「一言もなかった」と自伝に記しています。人を斬ることに何も悪びれてないのが読み取れますね。もっとも当時の中で人を斬ることの善悪は、もちろん悪でしょうけど、そこまで余裕もなく大きな意味を為してなかったことでしょう。

18ea2139ともあれ、土佐勤王党は以蔵のような恐れ知らずな若者を使って天誅、暗殺を繰り返していましたが、最終的には山内家が手のひらを返すかのように弾圧を始めました。以蔵は、半平太と共にお縄となりました。それまで、半平太はいわば手足のように以蔵を利用していたわけですが、勤王党の秘密となることは全部この実行犯である以蔵が握っていたわけですから、口を割ってもらうわけには行きません。半平太は秘密保持のために自害するよう以蔵に勧めます。しかし、最期まで自分を利用することを考えている半平太に怒り、以蔵はすべてのことを話し、斬首にされることとなり、半平太は切腹を言い渡されます。以蔵は28歳でした。

勤王党は結局最期まで実行から消滅までこのような人たちに依存していたのかもしれません。リーダーと現場の乖離、どこか学べるところがあるのではないでしょうか?

スポンサーリンク
>