浅井三姉妹 茶々


茶々については浅井三姉妹浅井三姉妹その2でも少し書いてます。今回は茶々が言われるように悪女(悪妻?悪母?)なのかを少し主観的に考えてみました。

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06-1t茶々と言えば、戦国時代を描いたドラマや映画で頻繁に登場してくる女性です。織田信長の姪であり、豊臣秀吉の側室になった女性です。妹の初、江とともに浅井三姉妹と呼ばれており、数奇な運命を辿った姉妹として広く知られています。茶々は淀殿とも呼ばれています。豊臣秀吉の死後、息子の秀頼のために生きた女性でもあります。しかし悪女だとも言われています。これはなぜなのでしょう?

<原因1>
xf1745065058w1つは実は茶々が産んだ秀頼は秀吉との間にできた子供でなかったのではないか、という説に関わるものです。秀吉には正妻の寧々との間にも子どもが出来ず、多くの側室を抱えていましたが、茶々以外の側室との間にも子どもに恵まれませんでした。そんな中、茶々だけが2人も子供をもうけることができたのは不自然です。秀吉は今で言う、不妊症だったのではないかと言われています。秀吉は肖像画などから140センチ程度しかなかったと言われています。しかし秀頼は体格もよく、身長も当時の平均を超えていたそうです。そうなると、やはり秀吉の子どもではなかったという説に信ぴょう性が増します。秀吉の子どもではないのに、秀吉の子どもと偽ったのも茶々の作戦だったのかもしれません。

xf2645098715w-400x400元々、茶々にとって秀吉は2回も自分を奈落の底に突き落とした憎き相手です。そんな憎い相手のところに側室として入るのでしょうか?時代が時代なので、茶々の気持ちが通るとは思えませんが・・・。当時は男も女も死に対して今とは全く考え方が違っています。もし本当に嫌なら死を選ぶ方法もあったのかもしれません。更に言えば、嫌な相手のところに政略的に嫁ぐ例はいくらでもあるので、この我々の考え方自体が全く当時の時代背景に合致してないかもしれませんがね!(笑)

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<原因2>
また豊臣家が滅んだのも茶々が大阪の陣の際に秀頼に出陣をさせなかったことにより、牢人たちの士気が上がらなかったことも要因の1つだと言われています。秀頼を大事に思うあまり、豊臣家なんてどうでもよくなってしまったのかもしれません。大阪の陣で失われてしまった多くの命は茶々の我儘のせい、と言われています。

だからと言って本当に悪女だったのでしょうか?秀吉を裏切ったというのは事実かもしれません。それでも秀頼は茶々の実子であることは変わりがありません。全ては秀頼のことを思うあまりの行動だったと思います。しかも当時の日本は性に対して大らかだったとも言われています。また妹である江の子、秀頼の正室として迎えていた千姫も人質として取ることはできたはずなのに、殺すことはしませんでした。豊臣が滅びた要因の中心人物であったことも事実でしょう。しかし、それであれば歴史に残っていない家はすべて悪人悪女でしょうか?違いますよね。

悪女と言ってしまうのは違うような気がします。ちょっと意地悪で気が強くて権力者をメロメロにしてしまう、むしろ子悪魔的な女性だったのかもしれませんね。

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