戦国の合戦は謎だらけ? 桶狭間と長篠から合戦を考えてみる


こんばんは。

ここのところ仕事がすごく忙しくて思ったようにかけてません・・・。明日から連休なので、ここぞとばかりにいくつか思ってたネタを書いてみます。

桶狭間の戦いといえば皆さん何を思い浮かべるでしょうか?大抵の方は宴会をして油断している今川義元の軍を織田軍が奇襲するそんなシーンを思い浮かべるのでは?
同様に長篠の戦いでは織田軍が鉄砲3段撃ちをするシーンを思い浮かべますよね?ところがこのシーンすべて後世の創作なのかもしれないんです!歴史上では結果はわかっているけど、そうなった過程がよくわからないという戦が実はかなり多いです

では今あげた超メジャーな2つの合戦についてちょっとしたうんちくと私見を述べてみたいと思います!

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桶狭間の戦い
実際
戦国の合戦についてはよくわかっていないことが多いのですが少なくとも桶狭間の戦いの今川義元が油断して少数の兵と共に宴会をしていたそんなことを証明する資料は何一つ出てきていませんそれどころか当時今川軍本隊は臨戦態勢を強いており少なくとも数千人の兵が義元と共にいたと考えられていますもちろん歴史には諸説あるのでこれが正しい説とは限りませんが今川義元は桶狭間で少数の兵と共に宴会していた大真面目に主張している歴史家はほぼいないのではないでしょうか。だとすれば当時の今川義元はそれ相応の兵力に守られていたという事になりますがこれを織田軍がどうやって打ち破ったのかこれがまったく謎なのです常識的に考えれば動員兵力が5倍以上説によっては10倍以上の差がありなおかつ本隊の警戒が厳重という状況で総大将を討ち取ることなど不可能に近いのですが現実問題として信長はそれをやっていますではなぜそうなったのかそれはいまでもよくわかっていないのです。しかも義元は桶狭間のイメージで暗愚みたいに思われてるかもしれません、とんでもない、非常に有能な名君だったと言います。そんな義元が兵数で圧倒的優位とはいえ、奇襲で首を取られるような大敗をするのも不思議です。

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長篠の戦い
信長軍が鉄砲3段撃ちをして武田軍を叩きのめしたという伝説が残っていますがこれは史実ではないと大勢の歴史家が主張しています当時戦場になった設楽ヶ原はだいたい3キロくらいの長さがあるのでこれを3000丁の鉄砲でカバーするとなると1チームにつき3メートルの距離をカバーする必要があります当時の鉄砲は不発や故障が今よりずっと多かったことを考えるとこれで武田軍の突撃を止めることが出来るのか大いに疑問があります。しかも当時の鉄砲の飛距離は100mくらいで、命中率はかなり低かったそうです。さらに戦場となった設楽が原からは弾はほとんど出土してないんだとか・・・。ではいったいどうやって信長軍が武田軍に圧勝したのかというとこれもよくわかっていないのですある人は信長軍が設楽ヶ原に野戦陣地のようなものを作っていたからそれを活かして勝ったと主張していますしまたある人は信長軍と武田軍の兵力差に着目し単純に数で押し切って勝ったと主張していますこれらの主張のどれが正しいのかそれは今でも分かりませんがただひとつ言える事は鉄砲3段撃ちはただの伝説に過ぎない可能性が高いという事です

戦国の戦の実態は現在でもよくわかっていないことだらけなのです だからこそ自分の仮説とか妄想できて楽しいんですよね。もし今までの歴史の常識を覆して、もし自分の仮説が当たってたりしたら最高ですよね!さすがに専門家でないと難しいですけど。だから歴史家は文献を調べ、自分の仮説を出し、それを信じて裏を取っていくんでしょうね。

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