伊藤博文 女好きすぎて付けられたあだ名とは??


学校で先生が歴史上の人物を教えるとき、さぞ偉い人が素晴らしいことをしたんだ、という風に教えるのが一般的だと思います。確かに素晴らしい功績を残してきた人たちですが、彼らも私たちの同じ人間です。今の政治家がどうしようもないことをするように、昔の偉人たちも必ずしも完璧な人間だけではなかったのです。ここでは、そんな学校では教えてくれない歴史の豆知識を紹介していこと思います。

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itou_hirobumi 皆さんも歴史の授業で必ず1度や2度聞いたことがある伊藤博文についてですが、彼は貧しい家育ちで、吉田松陰が開いたことで有名な松下村塾に入りますが身分が低いため、塾外で立ち聞きしていたそうです。しかしそれから彼はイギリスに留学したり明治維新を進めたり、大日本帝国憲法を起草したりなどとどんどん出世していき、最終的に初代総理大臣になります。これだけ聞くと素晴らしい完璧人間のようですが、彼には意外なもう一つの素顔があるのです。その一つが深刻な女好きです。現代と違い正室のほかに側室がいてもおかしくない時代でしたが、彼の女好きは常軌を超えていました。

0518034006彼の最初の結婚相手は同じ松下村塾の仲間の妹でした。しかし彼はイギリス留学のため結婚してから1年後にようやく初めて顔を合わせることになります。しかしその後も一緒に住むことはなく、彼はずっと現代で言うキャバクラ、つまり芸者遊びをしていました。そしてそのうち芸者の1人の梅子を妊娠させ1人目の妻と離婚し、2人目の梅子と結婚します。しかしその後ももちろん女遊びが止まるはずはなく、何度もパパラッチに遭い女性関係や芸者遊びについて三面記事をにぎわしました。もちろん既婚者であるので現代でそんな政治家いたら即クビ間違いないでしょう。

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itouhirofumiそんな彼ははいて捨てるほど女遊びをしていることから「ほうき」というあだ名をつけられます。そんなことお構いなしに、家に芸者を呼び夜伽をし、その芸者の土産を妻である梅子が何にしたらいいか悩んでいたそうです。ちょっと今じゃ考えられませんね。他にも高熱がある日も芸者を家に読んだり、しまいには13歳の女の子にも手を出したりしていました。これにはさすがの明治天皇も怒りましたが、これに対しても反省などせず、むしろ開き直っていたそうです。そんな彼に妻の梅子はひたすら尽くし、博文の相手の芸者にもとても親切にしていたそうです。

近代日本の最重要人物の彼も人間でどうしようもない女好きだったという欠点があったわけです。こんな話を聞くと、学校で習うよりずっと身近に伊藤博文を感じることが出来ますね。もっとも今の感覚では受け入れがたい話ではありますけどね・・・。

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