大河ドラマ「真田丸」第43回 軍議


パソコン触れなかったので、放映から遅れての書き込みになりました。ほんとはリアルタイムで書きたいのですが、どうしてもそうもいかないこともありまして・・・
ともあれ先週の大河ドラマを!

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あらすじ

fe8a433ae00746827354379d940279ac_20345大阪城に入った幸村はほかの牢人集たちとの意思の疎通もまだ旨くいっているわけではなかった。幸村は淀君に呼ばれ、昔大坂にいたときに淀君と話をした武器庫にて淀君と話をする。幸村は秀吉の恩に応えるため、また勝つために、家康を討つために大坂に入ったことを淀君に伝える。そのためには籠城ではなく撃って出て野戦にて勝機を見出すべきであるという考えを淀君に伝える。淀君は秀頼に危険が及ばないことを第一にしている旨を伝え、幸村もそれを受け入れ、そのうえで作戦がある、その結果として徳川に勝つつもりであることを伝える。

どのように戦うべきが5人衆を筆頭として軍議が開かれた。幸村以外はすべて籠城すべきであるとの意見であった。幸村は一人籠城では勝てないと訴えるも、受け入れられず、軍議は籠城で決しかけていた。そこで幸村は意見を聞かないのであれば軍議を開く必要がないと述べ、軍議をボイコットしてしまう。慌てた豊臣家は幸村に作戦の詳細を求め軍議に呼び戻す。幸村はここで籠城という一般論では勝てないこと、籠城はいつでもできるので、秀忠が到着する前に京の家康を攻めるべきであると述べる。それができれば豊臣恩顧の大名が徳川に靡くと予見したからであった。

5人衆も籠城論であったが、幸村の作戦を聞き、毛利勝永をはじめ野戦論に傾き、大野治長でさえ野戦論となった。その流れを見ていた織田有楽斎は籠城以外に方法はなく、牢人は黙って指示に従うように言ったが、大野治長が有楽斎を黙らせ、さらに秀頼の決断により軍議は野戦をすべく撃って出ることでまとまった。

秀頼は軍議の結果を踏まえ、野戦にて勝機を見出すことを淀君に伝える。しかし淀君は「真田以外で信に足る武将はいない」とし、牢人を信じないように秀頼を諭す。秀頼は戸惑いながらも淀君のいうことを拒否することができなかった。そして幸村はそれを意外かつ不可解と思いながらも、秀頼が決めたのであれば作戦を練り直すことを決意するのであった。

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感想

籠城は援軍やその後の展開が期待できるときに行う作戦であることを訴える幸村、普通に考えればその通りです。なぜ野戦に勝機を求めないのか歴史を知っていればまた戦の定石を考えれば当たり前のように感じますね。しかし、大阪城内は完全に籠城に傾いていることが協調されていました。

as20161030000604_commこのころ大坂内で力を持っているのは淀君をはじめ、側近の大野治長、織田有楽斎、大蔵卿というストーリーです。信長の弟の有楽斎がなぜ豊臣についているのか、まだなぜ大阪内で発言力があるのか不思議ではないですか?これはいろんな説ありますが、家康に通じていたというのが一般的かもしれません。今後、その背景もドラマで描かれていくでしょう。たぶん、家康と有楽斎が2人で話すシーンとか出てきそうな気がします!

さて、結果野戦ではなく籠城にて徳川と戦うことが決まりました、死中に活を求めるのであれば、籠城はありえません。一か八かでも撃って出るしかないです。信長の桶狭間だってそうです、籠城していたら間違いなく織田は滅んでいたでしょう。野戦は大勢を覆す可能性を秘めていて、籠城のみで勝てる戦はそうそうあるものではないですよね。うまく守りきっても結局勝つまでは大きな勝利にはならないことを強調した幸村の言い分でした。

これはごもっともと思います。しかし、豊臣の中ではその野戦勝利の可能性を読み取れるものが少なく、また全体ではなく、極地の勝利をすれば豊臣が有利になるという、いわば都市伝説を信じたような流れでした。それを説得し野戦に漕ぎつけますが、淀君の鶴の一声によってすべては水泡に帰してしまうのです。これがもし自分の意見であれば悔しいし意味が分からないですよね。実際ドラマの幸村も籠城に決まったことを聞いて唖然としていました。

そうはいっても兵力の差もあり、そもそも軍を率いる軍団長のレベルが豊臣と徳川では違いすぎます。野戦が通っていれば豊臣は負けなかったという人もいます。これは判官贔屓と言えると思いますが、それを想像してみたらたぶん楽しいですよ。もっとももし豊臣が勝っていれば江戸時代も短く、場合によっては戦国が続き、日本の安定はなかったのではないかと考えてしまいます。実際同課と言えば歴史が証明している通りですが、徳川に勝つために考え続けた幸村を英雄化、神格化するなら野戦をしていたら勝っていたと素直に妄想してみるのも楽しいかもしれません。

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