大河ドラマ「真田丸」 第42回 味方


dc4gianagpagg7j_xpdsi_624あらすじ

大阪に入場した幸村は淀君(茶々)と14年ぶりの再会を果たす。その場には信長の弟であり、淀君の叔父でもある織田有楽斎もいた。淀君は幸村を頼りにすると話をするが、幸村の退出後に有楽さ氏は幸村を煽てて利用する旨を淀君に伝える。幸村は秀頼から総大将を打診された。一旦は固辞した幸村であったが、大野治長に浪人をまとめる大将がいないと説得され、ひとまず引き受ける決意を固める。治長は三成と吉継亡き後大坂の内政を一手に担っていることを幸村に話すのであった。

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以前の執務室を訪れた幸村は、感傷に浸り、三成と吉継に大坂に戻ってきたことと徳川と戦うことを改めて決意する。しかし、幸村には股肱の家臣は内記しかいない。内記は高齢でもあり、もう一人右腕となれる家臣が欲しいと佐助を上田に派遣する。佐助は兄信之に幸村が大坂に入ったことを報告するとともに作兵衛を誘う。昔から幸村に心酔していた作兵衛は信幸の制止を振り切って大坂に向かうのであった。

一方、幸村の大坂入城を知った家康は狼狽する。「大阪に入ったのは父親か、息子か」と家臣に問いただし、幸村であったことで少し安堵するも、幸村が大坂に入ったことで豊臣牢人の士気が高揚するであろうことを予懸念し、予定より早く駿府を発って大坂に向かうのであった。

大阪では総大将を決める軍議が行われていた。秀頼は幸村を総大将に任命しようとするが、明石全登と長曾我部盛親は異論はないとするも、後藤又兵衛と毛利勝永の反対によって軍議はまとまりの気配を見せない。そこで幸村は総大将を辞退し、軍団制として総大将には秀頼が就くことを提案し、秀頼もそれを受託する。ここに大坂5人衆が誕生したのであった。

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感想

長曾我部盛親も登場していよいよ5人衆が揃いましたね。長曾我部家は関ケ原で西軍に付いたため取り潰されています。盛親が子供たちに手習いを教えていたのは史実と言われています。ドラマでは戦嫌いで寂しがり屋というキャラになっていますが、実際の盛親はかなり気も短く暴君だったそうです。

5人衆ではないですが、塙団右衛門も登場しましたね。幸村に自己紹介する際に「塙団右衛門直之直之参上」と書いた木札を手渡していました。まるでサラリーマンの名刺ですね。現代だとしたらこんな感じでしょうか?(笑)meisi_kanetuguしかし、団右衛門はこの後の戦で本当に木札をばら撒かせています。たぶんその伏線なので、それもおそらく描かれるのではないでしょうか。

さてさて、幸村が総大将、本当の軍団ではありえないでしょう。大阪城には10万の兵がいましたが、実際幸村が指揮したのは3,000くらいです。いくら幸村が名将だとしても10万の指揮を執れる才覚があったのかは定かではないです。幸村を総大将にしなかったから豊臣軍は敗北したという説もありますが、それは贔屓しすぎでしょう。とはいえ、そう信じたいと思うのは歴史ファンの妄想を刺激するからでしょう。やぱり「もしも」はどうしても想像したくなってしまいますからね。

とは言え、予断を許さない感じに盛り上がってきました!次回は「軍議」です。どんあ駆け引きと人間ドラマが展開されるのか、素直に楽しみにしておきます!!

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