有名な日本刀 2


こんばんは。

なかなか他の事を思い付きで書いてたので、日本刀から遠ざかっておりました!実は本当はある刀のことを書きたいためにこの日本刀を書きだしたんですが、調べてる内におもしろくなってきて、忘備録も兼ねて書いてるのが本音なのです!
さてそれでは本題に入っていことににします。

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宗近左文字
(そうざさもんじ)と読みます。いろんな人に所有された刀です。三好政長→武田信虎か→今川義元→織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光と渡り歩いた刀です。こうやって見ると有力者に持ち続けられていますね。だkら、権力者の象徴の刀とも言われています。ところが、この刀、これだけ有名人に所有され続けたのに無銘なんです!意外ですね。特に有名なのは今川義元から織田信長に渡った件でしょうか。信長が桶狭間で義元を討った際に、戦利品として入手したんです。ちなみに宗三というのは三好政長の法名です。だから宗三左文字と言われてます。が、色んな人が所有したので、義元左文字とか信長左文字と呼ばれることもある名刀です。

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圧切
へし切り長谷部と呼ばれることもありますが、私は圧切というシンプル名で覚えちゃいました。山城(やましろ:現在の京都府)の刀工、長谷部国重の作とされています。有名なのは信長に粗相をした茶坊主がいて、成敗されそうになって棚の下に逃げ込んだそうです。信長はこの刀でその棚ごと茶坊主を圧し切ったと言います。ここから刀の名前が付いたんですね。この後、黒田官兵衛に渡っています。毛利につくか織田につくかで悩んでいた播磨の小寺家の家老だった官兵衛は織田につくべしと、自ら使者として中国攻めの策をもって安土城に信長を訪問しています。この褒美としてこの刀を与えたそうです。

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菊一文字
幕末、新選組の沖田総司で非常に有名な刀ですね。「菊一文字則宗」というのが正式な名前ですが、一般的には菊一文字と呼ばれています。播磨の刀工則宗の作です。則宗は一文字派という開祖で、銘には「一」が入ります。菊は今もそうですが、皇位のマークなので、皇位のある人から菊紋を認められた名工ということになりますね。ただし、則宗作で菊紋の入ったものは現存しないと言われています。もし発見されたら国宝級ではないでしょうか。なので、沖田総司が菊一文字を所有していたはずがないんですね。また則宗は非常に価値が高く、当然値も張る貴重品です。大名でさえなかなか持てないくらいの刀でした。沖田総司が入手できるような代物ではなく、さらにそれを実戦で使うなんかありえないんです。ではなぜそんなイメージが定着しているのか?スバリ司馬遼太郎やその他の作家による小説の影響です!(笑)

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また別の機会ほかの刀も書いていきます。
が、前回と今回の間でもかなり間あいてるので、いつになるかは自分でも分りかねますので、悪しからず・・・^^;

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