金ヶ崎撤退戦 戦いの背景


桶狭間の戦いで少数の兵を率いて大群だった今川義元を討ったり、また長篠の戦いでは戦術的に効率的な鉄砲使用方による新しい戦い方の提示、そして本能寺で家臣に裏切られて終焉する。歴史にそこまで興味のない方が知っている織田信長の情報はこれくらいだと思います。ですが実は、信長は撤退を余儀なくされた負け戦があったのです。

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p10603831それが1570年金ヶ崎の戦いです。ざっくりこの戦いの発端を説明しますと、将軍家からの招集を無視した越前・一乗谷にいた朝倉義景に対して将軍家の肩を持っていた織田信長が戦を吹っ掛けたのですが、盟友浅井長政の裏切りにより勝ち戦が負け戦に転じてしまった戦です。

この戦の背景ですが、最初は確かに朝倉義景が悪いです。というかそう信長が仕向けています。将軍様を無視しては怒りを買ってしまって当然です。そして計算通りにに信長は将軍様のためという建前で朝倉義景を攻めます。ここの時点ではまだ大義名分は織田信長にあります。でも織田信長にも悪いところがあったのです。それは同盟を結んでいる浅井長政のことでした。

浅井は元々朝倉と仲良かったのです。そしてそんな浅井家の長政に、織田信長は自分の妹のお市を嫁に差し出し政略結婚させます。いわゆる同盟です。そして同盟を結ぶ際に織田は朝倉には手は出しませんという約束の元同盟を結んでいました。そうです、織田信長はこの時の約束を破ってしまったのです。義理堅い浅井長政は悩みました。昔から親交の深い朝倉家を助けるのか自分の嫁のお兄さんを助けるのか、そして悩んだ末に朝倉義景を助けることにしました。

03_01この時織田信長はびっくりして信じませんでした。本当はこれから一緒に戦ってくれるはずの盟友浅井長政が自分の背後を狙っているのです。ですが向かって進軍してくる浅井長政を確認すると織田信長はすぐさま朝倉義景を攻撃するのをやめて撤退戦に切り替えます。信長としては衝撃的かつ信じがたいことでしたが、そこは状況を瞬時に判断し、逃げることを決断しました。そして撤退の際に軍の一番最後に残って本体が完全に撤退するまで戦い抜き、本体の安全が確保できてからようやく自分たちも逃げることができる殿を木下藤吉郎、後の豊臣秀吉が担ったのです。

この時のやりとりとして、木下藤吉郎が自ら殿を志願したという説もありますが、私はもう一つの「本体が逃げるまでの最低限の活躍ができて且つ失っても織田家に支障のない部隊は木下藤吉郎しかいない。」という説の方が有力なんじゃないかと思っています。こうしてそれぞれの役割が決まってようやく始まるのが金ヶ崎の戦いなのです。

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