戦国三英傑は愛知県出身


22posuta1愛知県民がひそかに自慢していると思われるのが歴史の教科書にも必ず登場する戦国時代の英雄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。ニュースなんかで見かける名古屋まつりにもこの3人がパレードに登場しています。個人的なイメージではありますが、一番人気があるのは織田信長ではないでしょうか。ちなみに私は愛知県とは関係ないので、あくまでも独断と偏見で書いていますので、その点はご理解ください。まったく的外れの可能性もありますので!

スポンサーリンク
>

3953尾張の守護職の家臣の家に生まれた信長はうつけものと言われた少年時代から変わり者でした。常識にとらわれない考え方が、周りの大人たちにはなかなか理解されなかったようです。父の葬儀で位牌にお香を投げつけ、傅役の家臣、平手政秀が切腹したという逸話や、茶筅髷に代表される奇抜なスタイルが有名でした。天下に名をとどろかせてからも宣教師などからもたらされる外国の品々に興味を持ち、他の人にはまねできないセンスを持った人でした。直情径行で短気な人物として描かれることが多いのですが、じっくりと腰を据えて美濃攻略や天下人となるための朝廷工作など待つべき時にはじっくりと時間をかけて勝ち目のない戦はしない慎重な面もありました。斬新な鉄砲隊使い方で決して強くはない尾張兵が強力な武田の騎馬隊を破った(ことになっている)長篠の合戦は、真偽はともかく、信長の柔軟な発想力を表していると思います。

thap0usk6r楽市楽座で岐阜の城下町や安土の城下町は大変ににぎわったようです。一方、敵となったら本願寺でも焼き討ちにして、部下にも厳しく接する面があり、本能寺の変で明智光秀に討たれ無念の最後を迎えます。天下統一をほぼ時間の問題としておきながら、家臣の謀反で夢半ばに死んでしまう、この悲劇的な最後が信長びいきを増やしているのかもしれません。

スポンサーリンク
>

あとを継いだ秀吉は、農民の出身ながら信長のもとでどんどん出世していき、有力な大名となりました。信長亡きあと他のライバルたちを抑えて天下人となります。この出世ぶりは太閤記として戦国時代随一のサクセスストーリーとして有名です。秀吉は名古屋駅にも近い中村村で生まれたので名古屋には一番縁が深い人物なのですが、どちらかというと大阪の人に人気があるように感じます。今の大阪の礎を築いた人だから当然かもしれませんね。しかし、秀吉の晩年は朝鮮半島に出兵したり、秀頼かわいさに甥の秀次の家族を処刑したりといった奇行が目立ちます。要は晩年の老害がかなりイメージを落としているんだと思います。ここのところが信長のドラマチックな最後に比べると地元での人気が今一つの要因でしょうか。

ike_11_1555秀吉の後に戦国時代を終わらせ、江戸の太平の世を築いたのが徳川家康です。三河の小大名の家に生まれ、子供時代は人質として暮らし、実力は十分ながらも、信長、秀吉の時代をじっと我慢して過ごし、秀吉亡き後の関ヶ原の合戦で勝ちようやく天下に名をはせます。三河兵は尾張兵より強く、3人の中では1番、戦には強かったのではないかと思う家康ですが、生まれた場所が信長や秀吉に近過ぎ、運にも恵まれずじっと我慢する時代が長くなりました。この我慢強さが200年余に及ぶ太平の世を作り上げたとも言えます。我慢の人としての地味な印象で損をしている家康ですが、尾張名古屋は家康の子供義直が尾張徳川家を継ぎ、今の繁栄の素を作りました。それまで尾張の中心は信長の居城もあった清須でしたが、徳川家の城を名古屋に作ることになり大規模な都市計画、築城がされ、武士も商人も清須から引っ越してきました。尾張名古屋を作ったのは家康であるということからも、もっと地元での評価が上がっても良いのではないかと思われます。いずれ劣らぬ実績と、強烈なキャラクターをもった3英傑はこの先も地元の誇りであり続けることは間違いないでしょうね。

スポンサーリンク
>