浅井三姉妹その2 お江


以前に浅井三姉妹について書きましたが、茶々の行方や生存説などに焦点を当てた内容でした。今回は全体的にもう一度見直して三姉妹について書いてみます。

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20110613-02-448x336本史上、命運が分かれた浅井三姉妹、三人ともかなり数奇な運命を辿りました。 近江の浅井長政と織田信長の妹・市との間に生まれた三姉妹で、3人とも波乱の人生を送っています。 浅井氏と織田氏の血を引く三姉妹はとても仲が良かったと言われています。

長女の茶々は豊臣秀吉の側室となり、次女の初は京極家に嫁ぎ、三女の江は徳川秀忠の正室になります。 豊臣についた茶々と徳川についた江は敵と味方になってしまい、その中継ぎをしたのが初です。 自分たちの意思とは関係なく、敵味方に分かれてしまったので、それはそれは複雑な心境だったことでしょう。

map豊臣秀吉は信長の配下として小谷城を攻め、両親を自害に追い込み、自分たちの人生を劇的に変貌させた張本人。 それなのに側室になった茶々も苦しい思いをし、ものすごく葛藤があったんじゃないかなと思います。 いつか仇を取ってやろうと思いがあったとしてもおかしくはないですね。茶々は豊臣家の跡取りとなる秀頼を産みましたが、大阪の陣で秀頼とともにその生涯を閉じてしまいました。 劇的な最期を迎えたのです。この件については以前の記事で書いているので、興味のある方は覗いてみてください。

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初は豊臣家滅亡後、江戸に移り住んだそうです。 夫の京極高次の死後、江とともに江戸に住み、余生を過ごしたということです。
三姉妹の中でもっとも長生きをしたのがこの初です。 子どもには恵まれませんでしたが、実は豊臣、徳川よりも京極家のほうが家柄としては格が上だったそうです。

江は徳川家に嫁ぐ前に佐治一成、次いで豊臣秀勝に嫁ぎました。
点々とした後に徳川二代将軍の秀忠のもとに嫁ぎます。 戦国時代だから当たり前だと思いますが、政略結婚の道具にされたという部分もあるようです。徳川秀忠との関係も良好で多くの子どもに恵まれます。 五女二男に恵まれ、そのうち1人は三代将軍の徳川家光になりました。 徳川家の中で唯一正室が産んだ将軍です。

img_keizu11歴史的に江の凄いところは今でもその血を絶やしていないということでしょう。 徳川秀忠に嫁ぐ前に豊臣秀勝との間に完子という女子を設けています。 この完子はのちに九条家に嫁ぎます。 九条家というのは、大正天皇の后である九条節子に繋がります。 江を介して、現在の皇室には徳川、織田、豊臣の血が流れているということになるのだそうです。 これは本当に凄いことだと思います。

江は歴史上かなり重要な人物なのですが、意外にも資料が少なくどんな人だったのかいまいち明確になっていないそうです。秀忠が正式な側室を持たなかったことから、江は嫉妬深く、また秀忠より年上だったことから姉さん女房の典型みたいなイメージが定着してしまっていますが、これも後世の想像に任せた部分が大きいってことですね。結果だけを見ると江が一番表舞台にいるわけですが、どうしても姉の茶々のほうが有名で、印象薄いですね。いつか資料が発見されて江の人となりが解明される日が来るといいですね。

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