好きな武将 best10(3/3)完結!


こんばんは。
ようやく完結です!

好きな武将って人それぞれですけど。
まずはみ個人的な嗜好なので、みなさんの知りたいこととかはまだまだ全然書けてないと思いますが、まずは^^;
それではいよいよTOP3です!!

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3位 伊達政宗20407719
独眼竜政宗ですね。生まれてくるのが遅かったと言われる東北随一の武将でしょう。どれだけ好きかというと息子の名前を政宗にしようとしたくらいです!反対されて仕方なく一字もらった名前を付けました。一字拝領ですね!(笑)ゲームとかでも非常に高い能力でいつも登場します。オールマイティなスーパー武将ですが、片目を小さいころに失ったという事実も若干贔屓されてる気がしないでもないですが・・・。政宗は18歳、本能寺の2年後に家督を継いでいます。父輝宗は政宗の非凡な能力を見抜き若くして政宗を当主にするために隠居しています。当時40歳なので非常に早い引退です。それだけ政宗を買っていたということですね。輝宗は戦国には珍しく教育熱心な父親だったようで、政宗が子供のころから学問所を建てたり、学問の師匠を招聘したりしてます。さて、この政宗、家督を継いだ時は20万石くらいだった伊達家の領地を24歳のころには100万石を軽く超えるくらいまで勢力を拡大しています。しかしすでに天下は秀吉の小田原征伐のころ、とても刃向かえるような勢力差ではなかったのです。信長、秀吉、家康の3大英雄といわれる武将ですが、一番若い家康でさえ20歳以上年齢が離れています。また陸奥(むつ:現在の山形県、宮城県、福島県)の一部を去年としていた政宗は京都に遠すぎました。この年齢差と距離が政宗には埋めることができませんでした。この辺も同情心もあって政宗に人気がある所以かもしれませんね。しかし、最終的には伊達家60万石の太守となりました。100万石の前田家、70万石の島津家に次ぐ大身です。ただしこの石高は基準にする時期によっても変わるので一概には言えません。江戸時代に10万石以上が大大名と言われる中でどれだけ大きな大名だったか分ります。また政宗は許可書に出てくる慶長遣欧使節で欧米との外交もやろうとしていました。スケールが大きいです。

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2位 真田昌幸masayuki
真田幸村の父親ですね。武田家臣の一人から大名にのし上がった非常にしたたかな人物です。武田家滅亡後は上杉、徳川、北条と圧倒的勢力に囲まれながらも知略を駆使して生き残りました。戦も非常に上手だったようで、圧倒的不利の戦に何度も勝利しています。有名なのは関ケ原でしょうか。2,000人で徳川秀忠率いる30,000人の徳川軍を信州上田で足止めに成功しています。このせいで秀忠は関ケ原に間に合いませんでした。息子の信幸は大名として立身しています。この昌幸もいろんなゲームに出てきますが、智謀は最高レベルの武将です。最終的には関ケ原で西軍に加担し所領没収され高野山に流され、そのまま没しています。昌幸的には一発逆転を狙ったのでしょう。もし西軍が勝っていれば莫大な恩賞を勝ち取れたのは間違いないですから。昌幸ほどの人が東軍の勝利を予想できなかったわけはないですし。しかし、戦国の真田家は幸隆(昌幸の父)、信綱(昌幸の兄)、昌輝(昌幸の兄)、昌幸、信幸、幸村など優秀な武将ばかりですね。なんで連続して優秀な人ばかり生まれるんでしょうね?やっぱり遺伝、血というのはあるんでしょうね。

1位 竹中半兵衛230px-takenaka_shigeharu
秀吉を出世させたとも言われ、日本では諸葛亮孔明に例えられる天才軍師です。36歳という若さで病没していますが、秀吉の前半を支えた軍師です。いろんなゲームでは智謀はほぼ最強です!後半は黒田官兵衛です。半兵衛については実はほとんど資料が残ってないそうなのですが、逸話は多く残っています。特に有名なのは稲葉山城奪取でしょうか。半兵衛は美濃(みの:現在の岐阜県)の斉藤家に仕えていました。斉藤家の居城は難攻不落と言われた稲葉山城でした。当主の斉藤竜興が暗愚で半兵衛はこれを懲らしめるために武士、女子供合わせて2,000人以上いたといわれる稲葉山城をわずか20名程度で落としたと言われています。信長はそれを聞いて美濃半国を与えるから織田に寝返るように工作したが、半兵衛は竜興を懲らしめるためにやったこととして断ったと言います。そして半兵衛は稲葉山城を竜興に返却し、隠棲しました。しかもこれがわずが20歳くらいのことです。半兵衛はそのまま斉藤家に残れば、竜興に煙たがれ殺されると思ったのでしょう。そりゃ竜興から見ればそんな家臣目障りですよね!秀吉はこの半兵衛に惚れ込み三顧の礼で自陣に迎えたと言われています。おそらくかなり創作は入っているでしょうけど。その後半兵衛は秀吉の出世のために全力で力を発揮し秀吉はみるみる出世してきました。半兵衛は無欲で出世には興味がなかったと言われています。いわゆる清廉潔白、出世も目指さず上司の出世のために有り余る知恵を提供する、そんな部下いたら上司はどれだけありがたいことでしょう!筑前52万石の太守になった黒田長政(官兵衛の嫡男)は人質として信長に殺されるところを半兵衛の機転で助けられ、命を落とさずにすんだと言われています。ただし、稲葉山を落とすようなパフォーマンスをするあたり、名誉欲や自己顕示欲は結構強かったのではないかと思います。最後は秀吉の毛利攻め、三木城攻めの陣中で病没しました。当時は不治の病と言われた結核だったと言われています。

いかがでしょう?私の好みが大体分りますね^^;全体的にオールマイティで特に智謀に優れた武将が非常に多いです。組織のTOPもいますが、その優れた能力で主を献身的にサポートする、そんな武将が大好きです。私もそんな人間になりたいものです・・・。それだけの能力ないのでその時点で無理ですけどね!(笑)

それでは次からは趣向を変えていろいろなことを書いてみます!自分の勉強もかねて戦国に囚われず、いろんな時代いろんなジャンルを扱ってみたいと思います!よろしければふとした時にでも読んでいただけると嬉しいです。

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