石田三成 武士官僚の模範なのに過小評価?


00007_lみなさんは石田三成のどのようなイメージを持っていますか?自分の立身のため豊臣家を牛耳じろうとした佞臣?それとも豊臣家に尽くしまくった忠臣?いろんな言われ方をする三成ですが、私は忠臣のほうを押しています。真直ぐで秀吉、ひいては豊臣にたいして純粋かつストイックな人物だったんだろうと考えてます。

三成の昨今のイメージ以前よりは確かに上がっているものの、やはり厳しめに書かれたり描かれたりすることが多いと思いますしかしある前提条件を見逃している為に人物像がかなり評価を低くしているといるんじゃないかと私は考えます今の大河ドラマの真田丸でも三成の能力がやけに低く描かれている気がします。個人的には山本耕史の三成はかなりハマっていると感じてますが、これはちょっとまた別の感想ですね^^;

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まず一つに石田三成の評価を低くしているのが徳川家康が天下人になった事が多いに影響していると思いますつまり関ヶ原の戦いは石田三成に集中的に悪者として扱いたいという関ヶ原でいう東軍陣営の総認識です西軍に参加した大名にしろ石田三成にそそのかされてという言い訳のために彼の正当性や活躍を後世に残すことが出来なかったという理由もあったと思います。要するに勝者側の都合や言い分で歴史や後世の認識が作られてきている側面があるのではないかと思うわけです。後に豊臣恩顧の大名が改易や不遇の死など遂げていることを考えれば、徳川に天下を渡すわけにはいかないという先見の銘は三成あって他の豊臣の武将にあったとはいいがたいです。はっきり言ってしまうと、豊臣恩顧の大名たちは家康が天下を取るための駒だったと言っても良いのかもしれません。

 i320もしも豊臣恩顧の大名がもっとしっかり三成並の認識をもってすれば豊臣政権は揺るがなかったかもしれませんまた三成は戦いに弱いというイメージですこのイメージは彼が戦った事が少ないうちの2つが失敗したことしかしながらこの1つは関ヶ原で獅子奮迅の活躍を見せていることを考えれば彼が戦下手とは言えないと思うのです。もちろん、家臣には戦上手で知られた島左近がいたことですし、三成もその意見を聞いたり、常日頃から左近に指示することもあったのではにでしょうか。しかも徳川家康と比べはるかに知行は少ないことも見逃してはいけませんしかしながら歴史の常識ではなぜか関ヶ原の戦いは石田対徳川になっています彼の役割は如何に徳川を封じるかといった無理難題を実行に移し、さらにあわやという大戦略を作成したことにあります。確かに結果は徳川の大勝ではありましたが、いろんあ条件や事情を考えれば昨今の割合評価されているドラマでもまだまだ過小評価しすぎじゃないかと思います

専門や得意は文官的なものだったかもしれません。しかし、三成には豊臣のために命や人生をかけきるだけの覚悟も能力もあったのだと思っています。真相はもちろん分りませんが、三成はもっと評価されても良い武将ではないでしょうか?

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