戦国の合戦に敢えて物申す 記録にある兵力数って本当?


今回も敢えて物申すスタイルで行きます!こうやって時々敢えて考えることは、色んな視点で見ることができてオモシロイものなんです。もちろん妄想に近いことも多いんですけど!

さて、歴史のロマンや人物の生き様に感動を覚える戦国時代ですが本当にそんな合戦につぐ合戦の時代だったのでしょうか?いや、戦は多く発生してはいたのでしょう。しかし、私はここに敢えていくつかの疑問を投げかけてみたいと思います

戦国末期になりますと何十万対何十万の大戦が起こるようになります関ヶ原の戦い大阪冬の夏のよくよく考えてみると矛盾を感じることがあります正確な数値はわかりませんが江戸時代中期において江戸には370万人の人々が住んでいたようですその時代からさかのぼること100年以上前ですし戦乱により多くの人々がなくなっていることを考えるとその人口はもっと少なかった想像できます。一説には戦国時代の日本の総人口は1200万人だそうです。1150

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さらに、男は合戦で戦死することも多いので、半分以上が女性だと思います。ここでは仮に6割が女性とします。さらに3分の1が子供と考えますと合戦に行くことのできる最大人数は、日本全体で最大で300万人程度ということになりますしかしけが人病人老人などもいます。さらに原則として戦に出ない商人や職人、僧侶たちもいます。仮に3割くらいがそんな人と仮定すると210万人くらいでしょうか。これはあくまでも全国で最大動員可能数です。しかし大名たちは全兵力を戦地に連れていくことはありえません。全員連れていくと国元は大荒れです。他国から侵略もされます。そうするとどんなに連れて行っても半分が実際は半分の100万人くらいではないでしょうか。実際は費用もかさむので、ほとんどの大名はもっと少なく連れていきます。例えば2万人動員できたと言われる伊達政宗が朝鮮出兵に連れて行った兵は3000人と言われます。そこで連れていく兵を半数として50万人。さらにすべての大名家が100%参加することはありえません。せいぜい半分くらいでしょうか。そうなると25万人。また戦地では要所を守ったり、抑えたりするために兵を分けます。3割くらいそんな兵がいるでしょうか。ここで17万人。おやおや?関ケ原での東西軍合わせての人数になっちゃいました。さらに大坂の陣では30万人が参戦したとも言われています。かなり乱暴な計算であるとはいえ、人数を疑ってみるのもアリではないかという気がしてきます。

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こんな話もあります戦国時代は戦らしい戦は関ヶ原の合戦くらいであとは小さな小競り合いであったと確かに各地で数万対数万の合戦をしていてその都度戦死者が大勢出ていたとしたら人口はどんどん減っていきます1077a1c207fa9d65e9733df495213392もちろん戦に行くのは働き盛りの農民兵がほとんどですので男性ばかりが極端に少ない社会になりそうですしかしいくら戦をしてもいくら戦死者が出ても兵力は増えていきます人間は成長するまでに時間もかかりますしそんなにすぐに子供はできませんここに疑問を覚えるのですさて当時の各大名は自分の強さを課題に広告し自分の権力を強大にしようとしましたそのため敵の戦死者を割り増ししたり味方の犠牲者が多かったことを利用して敵国に恨みを持たせようともしました各地で残っている文献はそのような類のものだと推測されます当然当時の日本を知るひとつの材料にはなりますがそれを信用しきってしまうのもいかがなものかと思います当時の戦を見た人はもうこの世には存在しませんだからすべての事柄が推測でしかないのですもちろん英雄の存在にあこがれを持つことも歴史の一つの楽しみ方ですが事実を知りたいと思うのも事実ですいつか日本史が明確に解明される日がくるのでしょうか?

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