新撰組 幕末最強の剣客集団は腐女子好みのイケナイ関係?


新撰組と言えば幕末の京都で恐れられた戦闘集団で、幕末最強の剣客集団としても知られています。局長の近藤勇を筆頭に、土方歳三、沖田総司、斎藤一、永倉新八などなど、一流の剣豪ともいえる有名人がおおく、硬派なイメージが強いのではないでしょうか。その新撰組は衆道、いわゆる男色が蔓延していたとしたら意外と言えば意外なのではないでしょうか?

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武士の嗜みとされた衆道

この新撰組、鬼の鉄則ともいえる厳しい規律があり、脱走すれば切腹、死闘をしても切腹、士道に背いたと判断されても切腹と、何かといえばすぐ切腹がついてくる切腹組織ともいえるこの集団ですが、実は男色がはびこっていたのです。

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今でこそ、男色(または女色でも良いですが要は同性愛)は少し世間に認知されてはきたものの、やっぱり同性同士というのは一般的にはなかなか受け入れがたいのが実情ではないでしょうか。「理解はするが自分の周りにいたら受け入れがたい」そんなところではないかと感じます。しかし、そもそも明治に入るまで、男色は“武士の嗜み”と言われるほど一般的で、決して特殊なものではなかったのです。歴史を紐解いてみても有力な武将や大名には夜の相手を務める小姓がついていました。有名どころでは織田信長と森蘭丸が挙げられますが、以前書いた武田信玄と高坂昌信もそうですし、徳川家康、伊達政宗などそうそうたる顔ぶれにも“そっちの気”があったようです。江戸幕府の三代将軍・家光も生粋の男色家で女性にからっきし興味がなく、中年を過ぎるまで世継ぎをもうけることすらしなかったと言われています。つまり、歴史上男色は全く珍しいものではなかったのです。

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新撰組一の男色家は武田観柳斎

こうした風習は新撰組においても同じことが言えたのです。そもそも生物学的に数%の確率で男色の人はいると言われます。しかも例え男色家でなくても、慣習的に男色がある時代背景もあるわけです。そんな中、新選組には男ばかりが何十人、何百人と集まっていたわけですから、当たり前と言えば当たり前なのです。

中でも有名なのは5番隊組長を務めた武田観柳斎、子母澤寛の『新撰組物語』に描かれたエピソードによると、観柳斎は隊中美男5人衆の一人である馬越三郎をいたく気に入り、ころあるごとに追い回したそうです。一方まったくその気のない馬越はこれに辟易し、ついには副長の土方歳三に除隊を申し出る事態に発展してしまうのです。このエピソード自体は創作の可能性もありますが、新選組に衆道が蔓延していたのは間違いないでしょう。事実、近藤勇が友人の中島次郎兵衛に宛てた手紙にも「局中頻に男色流行仕候(新選組の中でも男色が流行っている)」とあるのです。

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ちなみにこの馬越三郎、本当に美男だったようで、普段は服装もおしゃれで見た目も童顔で、笑っても怒っても若い女子のようだったらしいです。この馬越、池田屋の直前に脱退し、維新後はガラス商として成功しています。

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男色に無縁だったプレイボーイ土方歳三

こうした事実を受けてか、新撰組内の男色を描いた作品も少なくありません。大島渚監督の『御法度』も新撰組内の衆道を描いているし、司馬遼太郎の『新撰組血風録』にもそうしたエピソードは度々登場します。BL好きな腐女子は大喜びするでしょう。

一方、近藤勇をはじめとする幹部クラスにはそうした噂がほとんどありません。特に土方には全くその趣味がなかったようで、残された資料は土方のプレイボーイぶりを示すものばかりです。写真にも残っている土方のルックスを見れば、男色に行かずとも不自由もなく、「さもありなん」と言ったと事なのかもしれません。ただ、顔の好みも時代によって変わるので、何とも言えないところではあるのですが。

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