寺坂吉右衛門(寺坂信行) 「忠臣蔵」赤穂浪士は47人でなく46人だった?


クリスマス時期になると決まってテレビに出てくる忠臣蔵、詳しいことは分からないでも、“赤穂浪士”“吉良上野介”“浅野内匠頭”“大内内蔵助”などの名前だけは聞いたことがある人も多いことでしょう。当ブログでも重要人物として“毛利小平太”について記事を書いたことがあります。さて、この赤穂事件の人数について『赤穂47士』とは言われるものの、ちょっと微妙なところがあるのです。

091214

スポンサーリンク
>

常識とされてきた47士説

江戸時代中期に、赤穂浪士が江戸本初松坂町にある吉良邸に討ち入り、主君浅野内匠頭に変わって吉良上野介を討ち果たした後に、幕命によって切腹したのが『元禄赤穂事件』いわゆる“忠臣蔵”です。「殿中でござる」の名セリフを振り切って吉良上野介に江戸城内で斬りかかった赤穂藩主の浅野内匠頭、その仇を取った家来たちということで日本人好みの展開が良く知られています。この経緯については諸説あるのですが、今回はそこには触れないことにします。

01

この事件に加わった赤穂浪士は小説や芝居などで“赤穂47士”として取り上げられ、47名なのが当たり前とされてきました。しかし実のところ、人数は明確となっているわけではなく、“赤穂46士”説も存在しているのです。そもそも47士説は人形浄瑠璃などで代表的演目となっている『仮名手本忠臣蔵』が元ネタになっています。ところが、この中の47という数字は“いろは仮名”の47文字に掛けたもので、実際にその事件に47士が関わっていたから、というわけでもなさそうなのです。

thV9WE77AS

スポンサーリンク
>

キーマンは寺坂吉右衛門

20100402133504581二つの説のどちらか正しいかの謎を解くカギを握っているのは赤穂浪士の1人である寺坂吉右衛門という人物です。一般的には吉右衛門は討ち入りに参加していて、それで47名というのが自然な解釈と言えるでしょう。実際、彼が討ち入りに加わっていれば47名になるのですが、事件の後幕命によって切腹されられた人数は46名です。吉右衛門一人だけが切腹させられていないからこその46名なのです。討ち入りに参加したはずの全員が切腹しているのにも関わらず、吉右衛門1人だけが切腹を逃れているというのも不自然だと思いませんか?しかも、吉右衛門は幕府や世論が助命を考慮するような身分でもなく、メンバーの中で一番身分の低い足軽だったのです。したがって、この吉右衛門の討ち入り有無が両説の分岐点と言えます。

これについては、これまでに様々な意見が取りざたされてきました。吉右衛門は討ち入り直前に逃亡したという説、討ち入り直後に上司からの密命で報告に走って生き残ったという説、直前に義士からはずされたという説などなど。

良く知られているのは「仇討ち成功の生き証人になるよう内蔵助に命令されたので、討ち入りメンバーだけれども発覚せずに生き残った」という説です。この生き証人説を特に有名たらしめたのは吉右衛門は上川隆也さんが主演したNHK『最後の忠臣蔵』でしょう。本ドラマでは吉右衛門が主人公として描かれていますから美化されている面も多いにあるとは思います。

d-0017812

しかし、どれが正しいかはわかっていません。吉右衛門は83歳まで生きていますが、後世に詳しいことをを残さないまま世を去ってしまいました。真相はいまだ闇の中ということなのです。

スポンサーリンク
>