暴れん坊吉宗 大奥の美女リストラに隠された真実とは?


8代将軍徳川吉宗と言えば、暴れん将軍のドラマでお馴染みの有名な人物です。もちろん、フィクションなのは間違いないですが、歴史の授業では享保の改革を断行した政治家としても有能な人物でした。そんな剛腕なところから“暴れん坊将軍”のようなドラマもできなのかもしれないですね。

thZEDJD13I

スポンサーリンク
>

強大な見直を持ち合わせていた大奥

さて、吉宗が将軍就任とともにまず断行したのは大奥の統制でした。この目的は膨大に膨れ上がった大奥の経費削減を行うことにありました。当時、大奥には巨額の人件費と服飾費がかかっていたからです。そのため吉宗は800人から1000人いたとされる大奥の人員削減を断行することになりました。

061128_oooku_main

しかし、当時の大奥の勢力と言えば政治にも影響を与えるほどの強大な力を持っていました。もしリストラなど口にしようものなら、いくら吉宗が将軍と言えども側室や将軍の実母、正室など強い権力を持つ大奥から反発を食らうことは間違いありません。人は権力を持つと、その権力を手放したくないのです。まして、吉宗は将軍になったばかり。全力で逆襲されれば将軍職の地位すら危うくなるかもしれないリスクをはらんでいたのです。

大奥は側室選びに大騒ぎ

pop-hito-yosimune大奥の勢力を恐れた吉宗は、なんとかして彼女らの怒りを買わないようにリストラすることができないかを考えました。そこで吉宗が出した答えが「美人だけをリストラする」という作戦でした。吉宗はまず奥女中の中から美人と言われるものを50名ほどリストアップするように要求しました。それを聞いた大奥の女たちは大騒ぎです。それもそのはず、彼女らは吉宗のその要求を「将軍様の側室選び」と勘違いしたのです。当時、彼女たちにとって出世するための一番の近道は将軍から寵愛を受けることです。そのため、側室選びとなれば大奥中が騒ぎとなるのも無理もない話です。彼女たちは胸を高鳴らせながら大奥の“美人リスト”を吉宗に提出しました。

onono_komachi

スポンサーリンク
>

吉宗の策略に奥女中もお手上げ

しかし、その“美人リスト”を受け取った吉宗の口から言い渡されたのは、その美人50人の解雇処分だったのです。側室選びと期待していただけに、彼女たちのショックは相当なものでした。そして吉宗は女たちに理由を問い詰められるとこういったそうです。「美人なら大奥を出ても良縁も多いはず。だた、美人でないものはなかなか嫁の貰い手がないものだ。だから美人は解雇して、不美人は大奥に置いておく」リストラされた女たちはこれを聞いてうれしいやら哀しいやらで怒るに怒れなかったと言います。女心の虚栄心をうまく利用した吉宗の方が一枚上手だったと言えるでしょう。

3f70c990bf39f8cdcd9c359f5ccb73b7_821

吉宗以上に強かった大奥上層部

5fdf8db1cb134954b0da02125e4e9258d0094a84こうしてうまく女中のリストラに成功した吉宗でしたが、実は大奥上層部の経費削減には手が付けられなかったそうです。それと言うのも、吉宗を将軍に指名してくれたのが何を隠そう大奥のトップに立っていた天英院だったからです。天英院は6代将軍家宣の正室で、父は近衛基熈、母は後水尾天皇の娘という、とてもそうそう太刀打ちできない血筋かつ身分の女性です。天英院に頭が上がらなかった吉宗は彼女に年間1万2000両もの報酬を与え、更に天英院と対立していた月光院に居所として吹上御殿を建設、更に年間1万両の報酬を与えるなど、女中の数を削減する以外は何もできなかったのです。

様々な改革を断行し、“暴れん坊将軍”の異名を付けられるなど革命家的なイメージの強い吉宗ですが、そんな彼でも女の園に土足で入り込むようなマネはできなかったということです。大奥が幕府解体までえ滅びることなく継続されたのも頷ける話ですね。

hqdefault

スポンサーリンク
>