沢村栄治 戦争に汚された野球人生だった?


おかしくなるほどの多忙で1か月記事をかくことができませんでした。やっと休みが取れたので久々に更新を。何を書こうかと考えたのですが、プロ野球は今セパどちらもほぼ決まりかけてる状況です。日本で歴史上のプロ野球選手と言えば、沢村栄治と言えるくらい有名な選手ですよね。今回はちょっとまだ現代に近いところで沢村栄治を調べてみました。

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プロ野球の歴史に燦然と輝く大投手

thCDBTB1RX沢村栄治と言えばアメリカメジャーリーグ選抜軍との対戦で、ベーブ・ルースを三振に仕留めたことや、プロ野球史上初のノーヒットノーランを達成したことなどで知られる伝説ともいえる大投手ですね。推定160キロ前後の剛速球を投げていたとされる沢村投手ですが、肩を壊した晩年はサイドスローに転向し、コントロールを武器にしたピッチングに変わっていきました。この肩の故障、実は戦場で手榴弾を投げ過ぎたためとも言われています。もっとも、サイドスローに変えてからもノーヒットノーラン達成してるので、よほど野球の才能に恵まれた選手だったんでしょう。

徴兵で中国の戦地に赴いた沢村投手は野球ボールの3倍もの重さの手榴弾を投げされられたそうです。日本国内では野球のスーパースター、ものを投げるのは上手いに決まっているし、遠くまで正確に投げられると思われるのも仕方ないのかもしれません。が、野球の感覚で投げれば方に大きな負担がかかることは想像に難くありません。更にマラリア感染、左手の銃弾貫通なども重なり、プロ野球に復帰したときには以前のような剛速球は投げられなくなってしまっていたのです。

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手榴弾でも記録を作った強肩

手榴弾に憂き目を見た沢村投手ですが、彼は手榴弾に関する驚異的な記録を残しています。軍隊で連隊対抗手榴弾投げ大会が行われたとき、沢村投手は78mもの記録を出し、ダントで優勝を飾りました。このときすでに肩を壊していたことを考えると、全盛期だったら更に記録が伸びていたことは間違いないでしょう。プロ野球を引退した1944年に、沢村投手はまた戦場に赴き、東シナ海で戦死を遂げてしまいました。まだ27歳の若さでした。戦争で失くしてしまったことが本当に悔やまれる人物です。

2f29d0a47ffd842090bad5c9771f6110その栄誉と功績を称え、プロ野球の最優秀投手賞は彼の名前を冠した「沢村賞」となっています。この沢村賞、非常に条件が厳しく、年によっては受賞者がいないこともあるくらいで、投手にとって最高の栄誉ある賞と言えるでしょう。そんな賞の名前になっている沢村栄治、日本のプロ野球に大きな影響と功績を残したことが分かりますね。更に所属していた巨人では沢村投手の線番号14は永久欠番となっています。

ちなみに沢村投手は最優秀選手、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振など投手タイトルのほとんどを獲得しています。しかし、ほとんどは1936年、1937年の2年間に獲得したものです。

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