西行 厭世の大歌人は恋に破れて出家した?


西行と言えば、教科書にも必ず出てくる人物です。歌人というのは知っていても、西行がどんな人だったのかを知る人は意外に少ないのではないでしょうか?

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突然の出家に周囲は大仰天

img_6「出家した人は救いは悟りを求めており、本当に世を捨てたとは言えない。出家しない人こそ自分を捨てているのだ」こう言い残し、妻子を捨てて出家位下平安末期の歌人・西行。彼の出家がお多くの人を驚かせたというのも無理もないことなのです。なにせ、そのとき、西行は若干23歳で官位を授かっている身分だったのです。西行は、実は武家の出で、家柄も良く、いわゆるエリートと言える人生を歩んでいたのです。普通に考えたらとても、世に無常を感じるような人物とは思えませんよね。時の右大臣・藤原頼長も日記に「西行は家が富み若いのに、生活を捨てて仏道に入り厭世したという。人々はこの志を歎美しあった」と書き残しているほどです。出家後は人里離れた山奥でひっそりと歌を詠んで暮らした西行は『山家集』や『西行物語』をはじめ、数々の秀歌を残し、『新古今和歌集』には最多の92本もの歌が入選しています。そこからも西行の人物像が伺えようというものです。

叶わぬ恋に苦しんだ西行の行動とは?

では、そんなにエリートコースに乗って将来も有望だった西行が突然出家したのはなぜなのでしょう?その理由として有力なのが、「失恋の痛手から逃れたかった」というものなのです。確かに色んな体験をし、深い気持ちで歌を詠んだ方が心に響くのかもしれませんが、それにしても西行ほどの人がそんな背景で出家したとなればすごく意外ですよね。その相手と噂されるのは、白河院の愛妾にして鳥羽院の中宮であった待賢門院璋子という女性です。彼女が入内したのはちょうど西行が生まれた年で、年の差は17歳もあったのです。そんな年の差を乗り越え、一時的にはその身分の差には勝てませんでした。璋子は大徳寺家の出で、中宮でもあり、崇徳天皇の母でもありました。一方の西行は良い家だったとはいえ、大徳寺家の家人です。いくらなんでも身分が違い過ぎるのですね。実らぬ恋に苦しんだ挙句、西行は出家の道を選んだのかもしれません。

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とは言え、実は西行と璋子がお互いに恋い焦がれてドラマのような恋をしていたかと言えば、決してそういうわけでもなかったようです。璋子は若いころから自由奔放で宮中でも何かと艶聞は絶えなかったそうです。皇后ながらに宮中内外の男性たちと自由に恋愛をしていて、西行もその中の一人に過ぎなかったと考えられます。特に西行は自分を慕っており、17歳も年下の類稀な歌の才能を持った将来有望な若者だったのです。奔放な璋子が興味を持つのもある意味やむをえないところかもしれません。

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一度は西行を受け入れたものの、そこは奔放な璋子、すぐに飽きて捨てられたのが真実なのではないでしょうか。それでも璋子を想い続け、今日に近い山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさや哀しさを読み続けたのです。パッと見るとラブソングになりそうな話ですが、冷静に見てみると璋子に振り回され、人生を棒に振った西行という図式も見えてきます。そんな西行を手玉に取った“魔性の璋子”という側面も垣間見えるのかもしれません。

西行が恋い焦がれた女性

西行の恋の相手については『盛衰記』では「申すも恐れある上臈女房」と記されていたことから、彼がかつて仕えていた鳥羽上皇の中宮・待賢門院璋子である説が有力ではあるのは前述の通りです。しかし、その他にも鳥羽上皇の皇后・美福門院や待賢門院の娘・上西門院の名も挙がっています。

いずれにしても故意に敗れた西行は忘れられずに草庵にて、悲恋の歌を詠み続けたのかもしれませんね。

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