常盤御前 権力者に愛された絶世の美女は妖女なのか?


常盤御前と言えば、義経の母であることはもちろん有名なところですが、清廉で可憐で不遇の女性というイメージが強いのではないでしょうか。しかし、彼女はかなり強かで、小悪魔的な女性だったと言えるかもしれません。ある意味、平清盛に取り入り、平家を滅ぼした女性ともいえるのかもしれません。

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時代もひれ伏した魅力

120423常盤御前は源平時代において、もっともスキャンダラスでミステリアスな女性です。彼女は雑仕女という下級の女官でした。これは美女1000人の中か100人を選び、100人から更に10人に絞り、その選りすぐりの10人の中でも最も美しいとされる者を選出する形で決められたそうです。1000人に入るだけでも相当スゴイと思いますが・・・。当時常盤御前はわずか13歳、こんな逸話からも常盤御前が並外れた美貌を持っていたことが窺い知れますよね。

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平家滅亡のキッカケをつくった?

 

rekisiga-meifukagami-tokiwagozen00011153年に源義朝の側室になった常盤御前は、今若、乙若、牛若の3人の子をもうけますが、子供たちが幼いうちに義朝は平治の乱で殺されてしまいました。当時は力が正義、強いものはそれだけで好かれた時代だったとも言えます。常盤御前もまた勝者である平清盛に惹かれていったのも自然の成り行きだったのかもしれませんね。そして清盛と男女の関係を結び、3人の子供たちも助命されました。このあたりは一般の人たちには異論があるところかもしれません。義経人気の判官贔屓から、常盤御前は子供たちを救うために泣く泣く清盛の要求に従ったというイメージが強いですよね。実際、諸説でもドラマでもほとんどはそうなってますし。

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しかし、常盤御前が3人の子供たちの助命をした記録はなく、むしろ「子供たちが殺されるのは仕方ない、でも子が殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺してほしい。でも母親は助けてほしい」と嘆願したとの記録もあります。平家物語にはその様子と美貌に心を動かされた清盛が請うて妾に迎えたとされています。もちろん夫義朝の敵であることから、最初は已む無くというところもあったかもしれませんが、最終的には権力者である清盛に惹かれたと考えた方が自然な気がします。

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tokiwa_1さて、常盤御前は清盛の元で廊の御方と呼ばれる清盛の娘を産んだとされています。この出産も小説やドラマには出てこないので、あまり知られてないと思います。廊の御方は右大臣、藤原兼雅の妻となり、清盛の庇護を受けて幸福な人生を歩んでいきました。後に清盛と別れた常盤御前は、中級貴族の一条長成の妻となり、そこでも何人かの子供をもうけました。その辺りから先はどうなんでしょう。正直、ほとんど情報がなく、伝説化している部分となっていますが、そのあとも彼女は豪族の男を関係を結び歩き、次々と子供を授かっては産んでいったとも言われています。

これまでの経緯と伝説を信じるとすれば、何人もの男を手玉に取った常盤御前ということになりますね。彼女の色香に惑わされた平清盛が、彼女の子である源義経を助けたこと平家が滅びたと指摘する歴史家も少なくありません。実際、結果だけみたらそういう側面はありますから。

非業の死か穏やかな余生か

常盤御前と義朝の間に生まれた3人の男児は、全員が鎌倉幕府成立の過程で命を落としました。母である常盤御前も現在の岐阜県関ケ原町で命を落としたと伝えられていて、かの地には彼女のお墓もあります。とは言え、彼女の消息を示す文献は残っていないので、群馬県前橋市や鹿児島県鹿児島市、埼玉県飯能市にも常盤御前の墓とされるものがあるのです。言ってしまえば、先に挙げた伝説もそうですが、平家が滅ぶ頃あたりからは何も分からないということです。

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ちなみに一条長成との間に設けた嫡子は一条能成と言いますが、彼は義経と行動を共にしていたために頼朝によって政界を追われています。それでも義経の死から19年、頼朝が没して9年後には能成は政界に復帰、従三位まで出世し、75歳で天寿を全うしました。一説にはこの能成のもとで常盤御前は余生を静かに暮らしたとも言われています。歴史の途中から姿を消し、どれが本当か全く分からない謎の女性ではありますが、常盤御前の波乱万丈の人生は案外、ハッピーエンドで幕を下ろしたのかもしれません。

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