平清盛 出生不肖の絶対権力者は皇室の血を引くサラブレッドだった?


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平清盛と言えば、武家にの出身でありながら太政大臣まで上り詰め、一族郎党をことごとく官職に就け、「平氏にあらずんば人にあらず」と身内に言わしめた傑物です。ちょっと前に松山ケンイチさん主演で大河ドラマにもなりましたし、教科書にも出てくるくらいの日本史における重要人物ですね。

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この清盛、頭角を現したのは意外に遅いのです。保元の乱(38歳)、平治の乱(41歳)を制しのがすでに中年期で、一般的にルックスとしては完全にオッサンといったところでしょう。出家して剃髪したのが51歳で、その姿を思い浮かべる人も多いかもしれません。エネルギッシュな風貌は“成り上がり”のイメージとリンクするところがあるかもしれませんね。しかし、清盛の出生については一応あるのですが、若干不明瞭な部分があるのです。謎に包まれていると言っても良いかもしれません。これだけ成功した人の出生が不明確ってのは意外ではないでしょうか?そんな血筋のはっきりしない清盛ですが、実は“やんごとなき貴人のご落胤”という噂が付きまとっているのです。

cf2fe9298bda03abでは誰の子という噂なのか、「天下三不如意」で知られる白河方法なのです。白河法皇は当時のトップなので、どんでもない大物が父親という噂なのです。ちなみに「天下三不如意」とは【平家物語】に登場する白河法皇の思い通りにならないもの3つのもので、①鴨川の氾濫水、②双六の犀、③比叡山の僧兵、のことです。逆に言えばこの3つ以外ならすべて意のままということです。当時、白河法皇の権力とはそれほど絶大だったのです。

img_0その絶対権力者と血がつながっているとなれば、平治の乱以降の清盛の大躍進も合点がいく気がします。【平家物語】によれば、母親の祇園女御は白河法皇の寵愛を受けた後に忠盛との間に清盛を授かったとされています。祇園女御は氏素性も生没年も不肖なのですが、妹の子を猶子にしたとする説もあります。その子供こそが清盛だとも言われています。先に述べたように、要するにハッキリしないってことなんですね。

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76いずれにしても、清盛は祇園女御の後押しを得て出世街道を駆け上がっていきました。武家の出で太政大臣まで上り詰めるなど異例中の異例です。後に天下を取った同じく武家出身の源頼朝が朝廷とは一線を画して鎌倉幕府を開いたことと比べると好対照です。清盛はあくまでも既存の権力基盤にこだわったと言えます。天皇の外戚となり、政治を意のままにすることにこだわったのです。それはまるで“父親であるかつての白河方法”のように・・・?「この親にしてこの子あり」。白河法皇の嫡子となれなかった清盛が、ただひたすらに父の背中を追いかけたとは考えられませんか?もしそうだとすると、清盛は大成功を収めた人物ではありますが、父を見返すため、父に追いつくために、自らを追い込んだ結果が太政大臣だったのかもしれません。そう考えると清盛もかわいそうな時代の落とし子だったのかもしれません。

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「平家にあらずんば人にあらず」は清盛が発した言葉ではありません。しかし、白河法皇の“天下三不如意”の意識は脈々と受け継がれていたのかもしれませんね。

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