淀君 風量被害で悪女にされた淀君は本当は才女でなのか?


0491300人(!!)いたと言われる豊臣秀吉の側室の中で最も愛されていたのが淀殿ですね。なかなか子供が出来ず、困り果てていた秀吉との間に二人の子供を授かり、うち一人は豊臣家の後継・秀頼として立派に育て上げました。また、彼女は絶世の美女・お市の方の娘としてたぐいまれなる美貌を持っていたことでも知られており、その点も好色な秀吉には堪らなかったというところでしょう。しかし、この淀殿が豊臣家を滅ぼす原因を作った悪女のように度々批判されることが多い女性です。果たしてこのあたりは実際のところどうなのでしょう?

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couple-1226181_640-300x275淀殿が悪女と称される理由の一つとして、秀頼の父親は秀吉ではないという説があります。淀殿が懐妊したとき秀吉は50歳を超える高齢で、不可能でないにしても肉体的に厳しかったのは間違いないでしょう。しかも300人いて誰も懐妊してないのだから、そんな疑問が出てくるのも当たり前と言えば当たり前ですね。更に秀頼は長身の美男子という秀吉には似ても似つかない風貌だったと言います。そのため石田三成や大野治長などが他の父親候補として浮上しています。もし、秀頼の父が秀吉でなかったとすれば、淀殿は秀吉を騙していたことになります。念願の後継者誕生の喜びと美貌に惚れまくっていた秀吉だけに淀殿のいうことなら信じるしかなかったのかもしれません。

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秀吉の死後、淀殿は豊臣家を完全に掌握するようになりました。大坂の陣の前には戦を回避しようと働きかけていた片桐且元や織田有楽斎を追放し、更に徳川方が提示した和睦案を蹴るという大胆な行動も見せました。家臣団を騙し、豊臣家世継ぎの母として権力を行使する、これが本当なら大した悪女というしかありませんね。実際、これが定説となっていて、ほとんどの人はこれが事実として認識していることでしょう。

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しかし、この淀殿の定説には最近疑問が唱えられているのです。最新の研究によれば、大坂の陣の際に淀殿は自身が人質となって和睦交渉を受け入れることを認めていたが、秀頼が嫌がったため断ったのだと言います。秀頼が嫌がった理由がマザコンからなのか武将の意地からなのかは分かりませんが、これが本当だとしたら、淀殿の評価は一変しますね。

2009041600303905dまた、淀殿を悪女とする噂話はそれぞれ江戸時代に生まれたというのも考慮すべき点です。徳川全盛の時代に江戸の民の間では“豊臣家を悪”とする傾向が強まっており、石田三成をはじめとし、何人もの豊臣方の人々が極悪人扱いされていたのです。当然、間違いなく豊臣家で重要な地位にあった淀殿もその一人で、秀吉を誘惑して家を乗っ取り、悪政によって豊臣家を滅ぼしたと噂されたのです。しかし、冷静に考えると、徳川幕府を盤石にするために豊臣家は徳川家にとっては目の上の瘤でした。徳川は豊臣家を“滅ぼしたかった”のです。それを淀殿のせいで豊臣が滅びたというのはちょっと違和感感じませんか?

とは言え、淀殿の存在が豊臣家にとってマイナスになっていなかったとは言い切れませんが、のちに2代将軍・徳川秀忠の布陣となるお江与の方を養育したことや、侍女に慕われた指導力は評価されても良いところではないでしょうか。本当は豊臣家に尽くした才女だった可能性も十分考えられるのではないでしょうか。

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