おつやの方 女城主は甥信長を呪い殺したのか?


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女城主と言えば、ちょうどいま大河ドラマの影響で井伊直虎を上がる方が多いのでしょう。しかし、戦国時代には他にも女城主は意外にいたのです。江戸時代と違い、戦国時代には多くはないものの、女性に家を継がせることも権利としては可能だったからです。一番くらいに有名な女城主と言えば、私だったら岩村城のおつやの方の印象が強いです。この女性にスポットを当ててみたいと思います。

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th5TPE376Hおつやの方は織田信長の叔母にあたる女性です。美濃岩村城主である遠山景任に嫁ぎました。かなりの美貌の持ち主だったと言われています。しかし、お市の方といい、おつやの方といい、織田家の血を引く女性はみんな絶世の美女と良く言われます。本当なんですかね・・・?まあ、織田家に限らず、歴史上の女性はどこでも誰でも美貌と言われることが多いし、今でもよく「美人過ぎる〇〇とか、美人アスリート」とか持ち上げられることが多いので、もしかしたら同じようなことなのかもしれませんね。

さて、1571年、亭主の景任が子供もないままに病死したため、信長の五男である坊丸を養継嗣にして、妻であるおつやの方が城主となりました。女性が城主になった例は数例あります。薙刀隊を率いた立花誾千代など女性でありながら城主を務めた例は他にもありますが、このおつやの方も例に漏れず、気丈でしっかりした性格だったと言います。その性格を表した強烈なエピソードがありますので、紹介しましょう。

iwamuratyo先にも述べましたが、おつやの方は信長の叔母にあたりますので、景任の死で遠山氏の手を離れた岩村城を織田領の城としておつやの方が治めるようになりました。1572年、岩村城は武田家の家臣である秋山虎繁(信友)に攻められますが、おつやの方は守りを固めてこれを死守しました。戦いは長期戦になると思われた矢先、虎繁は驚くべき方法で和議を申し出ました。何と、和議の条件におつやの方との婚姻を提示したのです。

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9ff380d4おつやの方はこの申し出を受け、岩村城は武田家の属城となりました。おつやの方としては、今は堪えているが、長期化すると落城は間違いなく、岩村城の部下たちも多くが死んでしまうことを分かっていたのです。城にいる人々と領民の命を救うために虎繁の和議条件を飲むしかなかったのです。しかし、これに激怒したのが信長でした。多くの命を救うため守るためとはいえ、敵方の男に体を許して負けを認めるとは何事かという具合だったのです。しかも岩村城は東美濃で武田家との勢力の境界に近く、織田家にとっては非常に重要な拠点だったのです。もちろん、武田氏から見ても美濃、近江、最終的には京を睨むための足掛かりとなるため、両家にとって戦略的要所だったのです。そんな岩村城を血を分けた叔母であるおつやの方が武田氏に明け渡したわけですから、信長が劣烈火の如く怒ったのも分からないでもありませんが。

DAMAOpuUQAQ02GB1575年、長篠の戦いで大勝利を収めた信長は、その勢いのままに岩村城を奪取、秋山虎繁以下の武将を皆殺しにし、おつやの方も逆磔にして処刑しました。おつやの方は「信長も必ずあっけない死に方をさせてやる」と泣き果てたと言います。その七年後、信長は本能寺の変で家臣である明智光秀に謀反を起こされて死亡しました。もしかしたら、おつやの方の呪いが本当に効いていたのかもしれませんね・・・。

女城主

ちなみにおつやの方は現在では日本酒の銘柄になっています。私もちょっと飲んでみたいですが、みなさんもチャンスがあれば嗜んでみてはいかがでしょう?

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