長篠の真実 三段撃ちの信憑性を疑う。本当に鉄砲が使われたのか?


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織田信長、長篠の戦と言えば、出てくるキーワードは「鉄砲三段撃ち」しかないでしょう。実際、この合戦は武田氏を旧体制、織田徳川氏を新体制とし、合戦の変貌を表すものとして描かれることが多いようです。つまり近代戦の契機としての信長の存在を知らしめた奇策として、斬新性と先見性を表す格好の合戦として喧伝されているといったところでしょうか。

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しかし、この三段撃ちという戦術ですが、“実は存在しなかったのでは?”という疑問が沸き上がっています。本当のところは分かりませんが、この信憑性について考えてみましょう。

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そもそも三段撃ちなる戦術は、信長の家臣太田牛一が記した「信長公記」にも登場しないシロモノです。その記述が初めて登場するのは、なんと江戸時代に出版された通俗小説なのです。更にこれが一般的に広まったのは、明治時代に入ってからというからちょっとビックリじゃないですか?帝国陸軍がこれを“史実”として教科書に乗せたことがキッカケだったそうです。つまり、三段撃ちは江戸時代に作られた創作である可能性が高いとは思いませんか?では実際に長篠の戦いにおける織田軍の鉄砲隊とはどのような戦術を採ったのでしょう。

2f4b77a1d211288bec4c963de35985a4信長公記によると、武田軍から攻めたてられた織田軍の足軽は身を隠したままでひたすら鉄砲を撃ちまくり、誰一人として前に出ることなく戦ったとあります。一見、なんとも臆病な戦術にも見えますが、意外にもこれが功を奏したのです。武田軍は二番手、三番手と新たな軍勢が次々と送り出してくるものの、これを見事に撃退していったということですね。この撃退劇の様子はやっぱり信長公記にも描かれていて、「武田騎馬隊が押し寄せてきたとき、鉄砲の一斉射撃で大半が打倒され、あっという間に敵がいなくなった」ということです。

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ZV6407武田軍と言えば騎馬隊が有名ですが、実際に騎馬武者はそんなに多くありません。織田軍と比べてもほんの僅かでしょう。武田軍の強さは足軽の連携のスゴさだったと言われています。また、旧戦術の典型のように言われる武田軍ですが、信玄の頃から鉄砲には注目していて、実際に武田軍にも鉄砲隊はあったのです。だから、織田軍の鉄砲隊が特段目新しいわけでもなく、武田軍も鉄砲の有効性と威力は十分知っていたはずなのです。そうなると

odake3鉄砲三段撃ちはウソなのかもしれませんが、いずれにしても織田鉄砲隊が相当の実力を持っていたのは間違いなさそうです。特に織田信長軍が所有する鉄砲の数は他勢力と比べると圧倒的な量だったので、「鉄砲の数=鉄砲隊の実力増」と考えてることも決して乱暴ではない気がします。何と言っても数は大きな戦力でしからね。兵力も武具も武器も土地も、大きいまたは多ければそれだけでとてつもない戦力になるのは間違いないってことですね。もっともウソと言い切るだけの証拠もありませんし、確かに考え方としては斬新性もあると思うので、本当だったらオモシロいかな、とは思いますが、ちょっと信憑性には欠けると言わざるを得ない気がします。

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