合戦の一騎討ちを疑う 信玄と謙信の一騎討ちは本当にあったのか?


A4-012-B歴史上の合戦において一騎討ちと言えば花形的なイメージを持つ人も多いのではないでしょうか?三国志演技では豪傑たちの一騎打ちが良く描かれていますが、日本では一騎討ちはあまり聞かないですよね。では日本に一騎打討ちはないのか?そんなことはありません、特に鎌倉時代あたりでは武将達による一騎討ちは合戦の前哨戦として度々行われていました。「やあやあ、我こそは・・・」というセリフを聞いたことがある人も多いのでは?戦国時代では一騎討ちのドラマを聞くことは非常に少なくなりました。しかも身分の高い侍大将格の一騎なんて討ちほとんど聞きません。そんな中、大名同士の一騎討ちとして語られているものと言えば、川中島の戦いにおける武田信玄と上杉謙信の伝説ではないでしょうか。そんな両雄の一騎討ちについて考えてみます。

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川中島の戦いと言えば信玄と謙信の一騎討ちを連想する人も多いのではないでしょうか?北信濃の支配権をめぐって繰り広げられた戦いは11年に渡り5度も相まみえ、中でも第4次の戦いが最も激戦だったと言われています。そして両雄の一騎討ちもこのとき起こったと言われています。

maxresdefaultではその一騎討ちはどのようなものだったのでしょう。例えば、“甲陽軍鑑”では「馬上から切り付ける謙信の太刀を、信玄は床几から立って軍配団扇で受け止めた」と記されているのですが、“川中島五戦記”では「川の中での太刀と太刀の一騎討ちだった」とされています。また“甲越信戦録”では「謙信はただ一騎で信玄の床几のもとへ乗りつけ、、三尺一寸の太刀で切り付ける。信玄は床几に腰を下したまま軍配団扇で受け止めた」とあります。要はどれも信玄と謙信の直接対決があったことを触れてはいるものの、てんでバラバラなんですね。

ここで一つの疑問。そもそも果たして本当に両雄の一騎は討ち存在したのでしょうか?

img_9武田家の軍記“甲陽軍鑑”には前述のとおり一騎討ちが描かれています。ところが上杉家の史書“上杉年譜”には「信玄に傷を負わせたのは謙信の家来である荒川伊豆守だ」と記されているのです。信玄からすれば、謙信の家来でなく、謙信本人にやられたとしたほうが面目もたつし、ドラマチックですよね。そこで一騎討ちをでっち上げたのではないかとも思うわけです。”甲陽軍鑑”は信玄を神格化した内容で記録していっているので、信玄が少しでも恰好よく映るように記述していったと考えても何も不思議はありませんし。

また、ここに挙げた“甲陽軍鑑”“川中島五戦記”“甲越信戦録”はすべてリアルタイムに、されたものではなく、後世に作られたものです。更に“川中島五戦記”“甲越信戦録”に至っては、“甲陽軍鑑”を含めたいくつかの文献と川中島に「住民伝承をもとに150年くらい後になって編纂されたものです。史料としての価値が高いのは間違いないのですが、信憑性としてはどこまで信用できるかは今でも疑問視されています。むしろ、『小説』という歴史家もいるくらいです。唯一正式な史書と言えるのは“上杉年譜”で、それでは両雄の一騎討ちは否定されるので、確たる証拠があるわけではありませんが、【信玄と謙信の一騎討ちはなかった】と考えるのが妥当なのかもしれませんね。

歴史ファンとしてはあったほうが面白いのは間違いないですけどね。

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