上杉謙信 戦国最強武将女だって!?


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「越後の虎」上杉謙信、誰でも知っているくらいの有名な戦国武将ですよね。この英雄武将に近年、実は女だったのではないかという疑惑が浮上しているのです。耳を疑いたくなるような突拍子もない話ですが、史実や文献を冷静に見ると、あながち噂でもなく、謙信が女だったことを裏付ける歴史的根拠があり、本当なのかと考えさせられるのです。

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まず挙げられるのは謙信の死因です。当代記という書物に「この春越後景虎卒去 大虫と云々」という記録が残っているのですが、“大虫”とは婦人病のことだと言われています。大虫とは味噌の女言葉で、味噌と言えば赤味噌が連想されることから生理を連想させた隠語だと言われています。実際、江戸時代初期くらいまでは、更年期障害で生理不順が重症化し、子宮内粘膜症を併発し、命を落とす女性も多かったそうなのです。亡くなった49歳という年齢も婦人病の死亡率が高い年齢と一致するのです。

無題更に謙信は毎月10日頃になると戦いをストップさせることが多かったのです。これは生理日と重なっていたためということになります。実際に合戦中にも関わらず「腹痛」と称して引きこもった記録まであるのです。なんか一気に女性説に信憑性が出てきたような気がしますよね。

uesugi-kensinまた、謙信を祀る山形県米沢市の上杉神社にも謙信女性説を裏付けられるようなものが残されています。ここには謙信の衣服が保管されているのですが、派手な色のものやパッチワークで仕上げられていてやけに女性ぽさが目立つのです。もちろん、派手な服を着ているから女性説とは短絡的すぎますが、傾奇者というわけでもなく、どちらかと言えば実直な武人であるイメージが強い謙信がそんなに女性らしいものを好んでいたのはちょっと違和感があるような気がします。

Uesugi_Kenshin謙信の肖像画には髭が描かれているではないかと思う意見も当然あるでしょう。しかし、肖像画が全て真実を表すわけでないのは周知の事実ですし、そもそもその肖像画が謙信の死後に書かれたものだとすればどうでしょうか?さらに林泉寺に保管されている当時の検診を描いたと言われている肖像画や「洛中洛外図屏風」に描かれた謙信には髭がないのです。肖像画の髭は謙信を男として見せかけるために後から故意に足されたものではないのでしょうか。

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0201それでは仮に女が真実だったとして、なぜ謙信は女であることを隠さなければならなかったのでしょうか?それは謙信の生きた戦国時代ではなく、のちの江戸時代の時代背景にあるのかもしれません。戦国時代は女性による家督相続が認められており、女性城主も多くはないものの珍しくはなかったのです。井伊直虎が大河ドラマの主人公として描かれている「女城主」にしてもそうです、実際に戦国時代には女性が城主として活躍した例は意外に多いのです。

bukesyo4しかし、徳川家による江戸幕藩体制に入ると状況は一転します。武家諸法度が成立し、女性城主は一切認められなくなったのです。徳川家は不備のある大名家を取り潰したり、減封処分にするなど散々な措置を取っていました。上杉家も幕藩体制の一員で、しかも外様大名なので、立場的には非常に弱いものでした。ここでもしかつての上杉を率いていた謙信が女性だったとなれば「謙信の代で上杉家は滅びていた」と言いがかりをつけられ家を断絶させられてしまう懸念があったのです。現代の法律では法律不遡及の原則があり、遡って裁いてはいけないのは常識ですが、当時はそんなことは通じないのです。徳川家に目を付けられて因縁を付けられたら逃れようのない理不尽の世の中なのです。そのため上杉家は女性だった謙信を男性に見せかける必要があったと考えることはできないでしょうか?

戦国時代の英雄として語り継がれる上杉謙信、私たちが今まで思い描いてきた戦国最強の謙信像は、実はまったくの虚像ですべてが闇に葬られている可能性は少なくないのかもしれませんね。

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