そんな馬鹿な!家康と信玄が親子だったら!?


徳川家康と武田信玄はかつて友好関係にあったのですが、信玄が京に向けて西進した際に遠江の三方ヶ原で激突しました。徳川家の家臣団は武田軍の強さと勢いを恐れて籠城を進言しましたが、家康は正面から武田軍に戦いを挑み、生涯唯一と言えるくらいの大敗を喫してしまいました。また後に家康は信長から駿河一国を与えられ、信長が本能寺で没した後は武田の旧領である甲斐と信濃を領土としています。

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このように家康と信玄は浅からぬ因縁というか関係があるのですが、これは領土が近く接していたからそんな不思議でもなく当たり前と言えば当たり前ですね。

hqdefaultしかしです・・・ここからが今回の本題なのですが、三河や遠江の一部では「家康は信玄の隠し子だった」と伝えられている地域があるんだそうです!そんな馬鹿なって思いますよね!!さすがに“いくらなんでも”とは思いますが、せっかくなのでこれが本当だとしたらどの辺が根拠になってくるのかちょっと考えてみたいと思います。

まず年齢ですが、両者の差は22歳です。当時としては親子でもおかしくないし、現代でさえ十分考えられる年齢差です。信玄がもし徳川家を乗っ取るために子をすり替えたとする説を信じるのなら、可能性としてはゼロではないので、成り立ちうる関係と言えなくありません。次に家康が祀られている日光東照宮に武田家の家紋である花菱が使われているということ。これは家康が実は武田家出身の者であるという暗示と考えらるかも?でも、実はいろんな家紋使われているし、桔梗紋のほうがよっぽど目立ちますけどね・・・

main_img家康が三方ヶ原で実の親(という前提)の信玄と激しくやりあったのは、二人の間に何らかの確執があったからかもしれません。冷静で部下の信玄をよく聞く家康が血気に早って無謀な戦を仕掛けたのはその証拠と言えなくもないかもです。そして二人が親子なのであれば信玄が家康を見逃したことには納得がいきます。これが一番大きな根拠となりえるかもしれませんね。信玄としては我が子に情けを掛けたわけです。

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また家康が滅亡した武田家に対し、保科正俊などの武田遺臣を多く採用したこと、信玄の侍女である見性院を保護すなど、非常に手厚くもてなしているのも「二人が親子だから」と考えれば考えられることなのかもしれませんね。

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つまり、根拠を整理すると
1)三方ヶ原から敗走した家康を信玄が安易に見逃していること
2)家康が武田遺臣を多く採用し優遇していること
3)見性院を保護していること
4)日光東照宮に花菱が使用されていること
しかししかし。
無理やり根拠になりそうなことを書きなぐってきましたが、やっぱり弱いし信憑性に欠けますね・・・。さすがにないとは思いますが、絶対違うとは言えないので、もしかしてもしかしたらもしかしたりするとちょっとオモシロいですね!(笑)

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