武田信玄 浮気はしたけどヤってません!?


戦国時代の武将たちの多くは小姓と言われる若い男子を側に置き、身の回りの世話などをさせていた。小姓は衆道の相手となることも多く、有名どころだと織田信長と森蘭丸の関係でしょう。

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adc68be3さて、甲斐の虎の異名を持つ武田信玄もその例に漏れず、衆道の相手として春日源助という若者を小姓にしていました。伊パン的にはあまり聞きなれない名前ですが、実は非常に有名で有能な武将の若いころの名前です。何を隠そう、この源助がのちに武田四名臣にも数えられる高坂昌信なのです。しかし、妻も多く元々男女問わず色恋が好きで浮気性だった信玄です。源助以外の男性に手を出したこともあったようです。信玄26歳、源助20歳のときのことです。信玄は弥七郎という男子に手を出したことがありました、それを知った源助は怒って家に引きこもってしまったのです。慌てた信玄は源助にある書状を渡しました。その内容を抜粋すると次のようなものです。

th47KBVQ5A「弥七郎にたびたび言い寄ったけど、腹痛という理由で思い通りにならなかったんです。でも、弥七郎を伽に寝させてないし、今までにもさせてません。あなたと元のように仲良くしたくて一生懸命に手を尽くしても返って疑わしくなってしまうから、どうしたら良いか迷ってます。神に誓って嘘ではありません。」

要するに“浮気しちゃったけどヤッてないから!”と、まさに浮気の弁明文で、家臣かつ目下の相手に敬語で書いていることからラブレターと言えるものかもしれませんね。この文面からは信玄の源助に対する深い愛情が読み取れますが、源助の信玄に対する愛情も相当のものだったようで、信玄が没したときには泣いて駄々をこねたとも言われています。

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7967053前述のように信玄は男だけでなく、妻も多かったのですが、浮気騒動の時にそれらの女性に対してはどのように対応していたのでしょうか。信玄の正室は結婚後1年で亡くなっており、継室として三条の方が入っていました。才色兼備の女性だったと言われますが、信玄からみると好き嫌いで測る存在ではなかったようです。というのも参上の方は足利家とも親交が深い三条家の娘であり、姉は細川晴元の、妹は本願寺顕如の正室でした。つまり、家格を高めること、そして天下を狙うための外交ツールだったといえるかもしれません。そこに愛がなかったとは言い切れませんが、信玄が主に愛情を注いでいたのは男の方だったのかもしれません。

thXPW1OAS8政略結婚は当時の習いとはいえ、こう考えると三条の方も幸薄い女性だったのかもしれません。最初は政略結婚でも後に仲睦まじい夫婦になった例は多くあります。逆に才色兼備で家柄も非常に高い三条の方のような、普通に考えたら羨望の対象になるような女性でも幸せになれたかと言えば、決してそうとも限らないんですね。同じことは現代でも言えるのかもしれません。幸せの価値観は人によってそれぞれなので、一概に決めつけるのも難しいかもですね。もしかしたら、三条の方もそれはそれで結構幸せだったのかもしれませんしね。

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