家康の系図 “化けて”天下を掴んだ狸親父だった?


b67107111a208e936a1387a303e31017腹黒さとしたたかさから狸親父の異名を持つ人と言えば徳川家康ですね。表面上では“化けて”周囲の目を欺きつつ内心では虎視眈々と逆転を狙う、そんな家康のイメージは老獪さが身に付いた晩年からのものだと考えられていますが、実は若いころにも自らの経歴を覆し、大きく“化けた”ことがあったと言います。

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家康は三河の土豪の生まれです。父や祖父曾祖父など、家康からみてある程度近い血筋についてはハッキリとしていますが、実はもっと前の祖先についてはいまいちハッキリしていないのです。しかし、家康は源氏の血筋でなければ就任できない征夷大将軍になっています。祖先がハッキリしないにも関わらず、なぜそんなことが可能だったのでしょう?ズバリそれは家康が若いころに自分の系図を書き換えていたからなのです。

S050914kani1566、三河統一を成し遂げた家康は信長との同盟を背景に戦国大名への道を歩みだしていました。その年の暮れに家康は従五位下・三河守への官位認定を朝廷に申請しました。しかし、官位は名門しか貰うことができないので、土豪である松平のままでは官位をもらうことは難しく、案の定、正親町天皇は「先例がないから公家にはできない」とこれを拒否します。そこで家康は浄土宗の僧侶を通して関白・近衛前久に協力を仰ぎ、希望に沿うことのできる姓を探すことにしました。すると近衛家の家来であった吉田兼右が先例として利用できる古い記録を発見しました。源氏の新田氏系の得川氏(徳川氏)の流れで藤原氏になった家があったということなのです。これを神主がその場で書き写したものを前久が清書し、朝廷に提出したところ改姓の勅許を得て、同時に官位が叙任されたのです。

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seisou1こうして家康は源氏に連なる徳川家康となったのです。その後関ケ原の戦いにて勝利を収めた家康は江戸幕府を開くにあたって征夷大将軍を申請するのですが、ここでもまた家康は系図を書き換えました。それまでは前述のとおり、新田氏系の源氏を名乗っていたはずなのに、ここで突然吉良家から借りた系図を利用して足利系の源氏を名乗ったのです。征夷大将軍は源氏しか任命されないので、新田氏系でも足利氏系でもどちらでも源氏には変わりなく関係ないことから考えると、単純に新田氏系が気に入らなかっただけなのでしょう。足利氏と言えば室町幕府を開いた家柄ですから、そっちの方が感覚として気に入ったというところかもしれません。

しかし、一度目に系図を書き換えた時点で征夷大将軍になることを見越していたとしたらすごい自信ですね。同じく天下を統一もしくは統一しかけた織田信長や豊臣秀吉は源氏の生まれではないために征夷大将軍にはなれませんでした。氏と姓についてはこの辺は以前に【征夷大将軍 氏と姓】の記事にも書いたので、興味のある方は読んでもらえると参考になるかもしれません。

250px-Edo_l122源氏を名乗ったのは偶然なのか、見越していた、もしくは大望を抱いていたのかは定かではありません。ともあれ、家康は定められた家柄や運命に従わずに源氏に“化ける”ことによって成り上がり江戸幕府を作り上げたと言えます。つまり系図の偽造によって徳川幕府は開かれたということですね。当時は氏と姓で官位やその他の慣例、階級など決まることも多かったので、家康ならずとも、そこで苦心した人たちも多かったのでしょうね。

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