瀬名姫 築山御前は悲劇のヒロインなのか?


100家康の最初の正室といえば築山殿です。政略的な諍いの中で非業の死を遂げたことから悲劇のヒロインとして語られることも多い女性ですが、実際は嫉妬深く、非常に激しい気性の持ち主だったと言われています。大河ドラマ「おんな城主直虎」では瀬名姫として菜々緒さんが演じていますね。それにしても菜々緒さんはすごく綺麗なのに、厳しい役や怖い役がほんとにハマりますね。それだけ冷たく見えるほどの美人ってことなんですかね!?それはさておき・・・。

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さて、家康は好色家として良く知られています。家康には築山殿の他にも側室が何人もいました。自分より家康に愛される側室たちに対し、築山殿は大きなジェラシーを抱いていたと言います。お万の方という側室が妊娠したとき、築山殿は怒り狂って彼女を丸裸にして木に縛り付け、ムチで打ち付けたというのだからその嫉妬深さは相当なものです。

tubone_s昔は側室を持つことが当然の時代でした。側室が多ければ多いほど子供を多く持つことができ、政略結婚や養子縁組、その他自家の繁栄に直接血のつながった家系を多く築くことができるので当時の政策としては十分価値のある思想であり、戦略だったと言えるでしょう。とは言え、家康は側室を多く持っています。記録から確認できるだけで19人と言われており、そのほかに正室を2人持っていますので、生涯21人の女性を囲っていたことになります。ちなみに若干印象は異なりますが、現代風に言えば正室とは正妻で、側室とは愛人と捉えても大きな間違いはないかと思います。戦国の習いとはいえ、さすがに21人は多いですので、この数は家康の好色を表す根拠としてはある程度信憑性があるでしょう。

fee7cf8e51733f5eしかし、お万の方は元々築山殿のおつきの侍女でした。また築山殿は今川義元の血縁であり、プライドも相当に高い女性だったと思われます。家康は元々は駿府で義元の人質として過ごしています。つまり築山殿から見れば格が違うわけです。桶狭間で義元は織田信長に敗れてしまいますが、その血筋に対するプライドは相当なもので、また格が違う家康に対して上から目線だったのは否めないかもしれません。しかも家康は自分の侍女に手を出し妊娠させたのです。プライドの高い築山殿には耐えがたい屈辱だったのかもしれませんね。

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また築山殿は徳川家を転覆させる陰謀を企てたとされています。その計画とは武田家と内通し、家康を暗殺して実子の信康に徳川家を継がせるという大胆なものでした。この時武田家と築山殿の間を取り持ったのは医師の減敬とされています。信康の近臣の中にはその計画に同調するものも多く、暗殺後は武田家の棟梁である勝頼と結託して、親家康派を征伐しようというところまで話がすすんでいました。

tokuhimeしかし、近臣の中から裏切り者が出たことにより計画は破綻、裏切り者はことの子細を信康の妻である篤姫に伝えました。徳姫は姑である築山殿との関係が上手くいってなかったこともあり、徳姫を通してそのことが徳姫の父である織田信長に伝わってしまいます。信長は直ちに徳川家の重臣・酒井忠次を呼び出し、築山殿と信康の抹殺を命じます。このころ同盟国とは言え、信長の一部将に近かった家康にそれを断る統べはなく、1579に築山殿は斬られ、信康は切腹する結果となりました。

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しかし、この陰謀には不可解なことも多く、本当に築山殿が家康を暗殺しようとした証拠は一切ありません。もしかしたら冤罪である可能性も大いにあるのです。家康が築山殿を暗殺したのは事実ですが、これは信康の死を知った築山殿が狂乱して事を起こすのを未然に防ぐためだったという考え方もあります。築山殿と信康の死は、家康・信康父子の対立が原因という説もあるくらいです。またそもそも信康が切腹した理由も明確ではなく、これも色んな説があります。

thPXOYEP9M義元の血縁として華やかな人生を送っていた築山殿、当時の家柄では圧倒的に格の違うと家康に嫁ぎ、義元の死によって人生が大きく狂ってしまいます。そんなアイデンティティを失いかけて夫である家康の愛情も得られず、最愛の子供とともに家康に殺されてしまうわけです。いずれにしてもその人生は悲劇のヒロインと呼ぶにふさわしい人なのかもしれません。

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