本能寺の真実 千利休が事件の黒幕だった?


hon-title2戦国時代最大の謎の一つ、本能寺の変は幾人の黒幕の存在が考えられてきました。有名なのは豊臣秀吉、徳川家康でしょう。信長死後の結果を鑑みれば、この二人が黒幕として疑われるのも已む無しかもしれませんね。しかし、他にも意外な人物が黒幕として考えられているのです。今回取り上げる黒幕は【千利休】です。茶人として広く知られている利休ですが、なぜ彼が信長を殺害せねばなからなたったのでしょうか?

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hqdefault利休を黒幕として疑うことができる理由として、堺商人の存在が大きく関わっています。元々利休は堺の商家の出身で、商人としての顔も持ち合わせています。利休は茶人のイメージが強すぎて、この商人の顔を知る人も意外に少ないかもしれませんね。では今回は利休が本能寺の黒幕であると仮定して、その根拠を私なりに考えてみました。

信長は1565に武力を背景に堺の会合衆から2万貫もの矢銭を徴収し、信長への絶対服従を強制しました。会合衆とは街の自治会の代表者達です。ちなみに堺の会合衆は納谷衆と呼ばれていたようです。信長は本格的に堺を自分の支配下に置き、統治しようとしたのです。利休は信長の茶頭を務めるなどしていたので厚遇されていたのですが、一方で信長が行う比叡山焼き討ち、一向宗に対しての残虐行為などは利休と堺商人を脅かすものだったのです。

信長の所業に怒りまた恐れを抱くことは容易に想像できます。「このまま信長を野放しにしておけばいつか自分たちも滅ぼされてしまうのではないか」という不安に駆られたとしてもおかしくありません。その結果、利休を中心とした信長暗殺計画が企てられたとすると辻褄は合うようです。では武力も持たない利休がどうのようにして信長を本能寺に誘き出し、暗殺することができたのでしょうか。ここは茶人、商人としての二つの顔を持っていた当時の利休にしかできない役目があったのです。

0303-201582、利休は上洛予定の信長を茶会の名目で本能寺に招待したのです。その際に天下の三名器のほとつ、楢柴の茶器をもつ商人も訪れることを信長に伝えました。茶器コレクターでもあった信長が楢柴の名前を聞いて黙っているはずがありません。さすがの信長も利休を信頼し重用していたため、疑念の生じる余地はなかったのです。

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本能寺の実行犯が明智光秀であることは周知の事実ですが、この光秀、実行日の前々日に有名な句を詠みました。

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そこに同席していたのが利休とも親しい仲であり、堺商人でもあった里村紹巴でした。利休は紹巴を通して光秀を実行犯として唆すことを目論みんだのでしょう。そして決断した光秀がこの句を詠み決意を紹巴に伝えたのです。更に当日は詰めを誤らないよう当日は紹巴に監視を務めさせたのです。人の心理を巧みに操り、自分の手を汚さずに本能寺の変の画を描いた男、それが千利休であり、黒幕だった!!

・・・のかもしれません。

ただ、少々強引ではあります。ここで問題になるのは、光秀が利休や紹巴の内心に気付かないでしょうか?光秀は武将としても教養人としても当代随一と言えるくらいの全てに精通したとんでもない人物です。信長麾下では傑出した人物で、信長からの評価も格段に高かったのです。その光秀が利休たちの企てに気付かずに簡単に祭り上げられてしまうのはちょっと合点がいきません。この点が利休黒幕説の弱いところですね。

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